2008年9月28日日曜日

新庄の北山三角点

夢前川沿いの桜の名所として有名な新庄ですが、村の北の山頂に北山という三角点があります。よくある命名ではありますが、村の人にしてみたら北にある山は北山でしょう。この三角点からは東と南に二つの尾根があり、どちらのルートで登るか悩みますが、とりあえず南に延びた尾根を試してみました。

この尾根の先端には人家があり、アクセスは難しそうです。新庄の北端の西村には円山神社という神社があって、その参道が尾根の東にあります。参道と尾根の間には溜池があり、その土手を伝って尾根にアプローチしました。うまく人家の北側に出てきましたが、付近は藪で伐採した木が倒れています。歩けそうな場所を探しながら尾根の方に向かうと、尾根に達することができました。ここからは長い尾根登りです。道はありますが、シダで覆われていて、足元は見えません。雨の後だったらズボンが水浸しになるところでした。シダの中の急斜面を登っていきます。標高300mに達したあたりで少し勾配が楽になり、植生も変わりますが、またすぐにシダが茂ってきます。地面にケーブルが見え隠れしているので、共同アンテナが上にあることが予想されます。

365m地点は草が刈ってあって山頂のような雰囲気です。以前はここにアンテナが立っていたのかも知れませんが、展望はありません。この尾根は、木々の向こうに新庄が見え隠れするだけで、展望はほとんどありません。この先は少し歩きやすくなります。三角点ピークの手前で良く踏まれた道が現れます。ここは沢の行き止まりなので、ここに登ってくる道があるのかも知れません。この道を歩いていくと、山頂には行かずにピークを巻いて北側の419mピークに向かう尾根に出てきてしまいました。道はありませんが、南に尾根を登り返すと、北山四等三角点(422.8m)がありました。測量の残骸が見られましたが、白い標識も無く、山頂を示す標識もありません。

下山は東に延びる尾根を使いました。山頂付近はシダが生えていますが、少し降りるとはっきりした尾根になります。この尾根は岩場が多く、南側の展望が開けます。写真は新庄と前之庄を望んだものです。展望が良いだけでなく、登りに通った尾根に比べるとずっと歩きやすく、登山ルートとしてはこちらがお勧めです。250m付近まで降りるとシダが増えてきますが、林の中を抜ける場所のほうが多く、暗いのを我慢すれば快適です。最後は真っ直ぐ雑木林を進むと川沿いに出てしまいそうだったので、200m付近から南の植林を降りました。倒木があったので、少し西に進んだところ林道があり、地形図には無い溜池の土手を通って寺に通じる道に出てきました。

前之庄から北に夢前川沿いに広がる平地の北端の山ですから、岩場さえあれば展望は保障されています。登りは尾根の下の寺に向かって歩き、右側に鉄の柵のあるところから溜池の土手を通り(ネットがありますが、潜れます)、林道を通って植林を登るのが正解です。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆

2008年9月27日土曜日

禿の行者山から石ヶ谷三角点

雪彦山の東にあるこの山については、幾つかのレポートがあります([1],[2],[3])。だいたいの様子が分かっていると気楽に登れるので、気楽に行ってきました。

車を佐中にとめて、妙見堂への247段の石段を登ります。大歳神社とお寺と妙見宮の三つの建物があり(妙見信仰については調べれば調べるほど分からなくなります)、その裏から山道があります。ここからしばらくは急斜面を登りますが、道があるということは有り難いことで、200m近くを登ってもさほど疲れません。涼しかったというのも理由でしょう。420m+で一息つき(今井と彫ってある石標があるので今井ピーク?)、513mピークまで登れば(川口ピーク?)、あとは楽な尾根歩きで、ときどき展望があります。そして590mくらいのところに石垣がありますが、おそらく小屋かお堂の基礎でしょう。

この先はスリル満点の岩場となります。南東側は絶壁となっており、展望は抜群です。最初の岩場をおそるおそる登ると、行者の石仏がありました。さすがは行者山です。その次の岩場はあまりに恐ろしく、これを歩くことは里山歩きの範囲を越えているので、北側の巻き道を進みました。それから岩をはいつくばって登ると、山の内三等三角点(649.87 m)です。山の内という三角点はもう一つあって、そちらは山の内1となっています。

三角点の南東に展望の良い場所があることが知られています([1])。ここから先ほどの岩場の写真を望遠で撮ったのですが、私が見た石仏の他に、怖くて歩けなかった屏風岩の端にも石仏があることを確認しました。写真で、左の矢印が私の見た石仏で、右が岩の端にある未確認の石仏(?)です。ますます行者山です。禿げていても、修行は怠らなかったと思われます。

この展望の良い岩場ですが、南東の端から先の道がありません。無理して降りることも考えたのですが、高所恐怖症気味の私としては安全策をとって、岩場の北側を巻いて進みました。岩場の下は急すぎて歩けないのですが、少し降りると歩ける程度の斜面になるので斜めに横切って岩場の南に出ました。南側から見上げると、とても降りられるような岩ではありませんでした。

この先の尾根は藪っぽくなりますが、切り開きがあります。場所によってはきちんと道になっている部分もあります。山の内三角点で大柿さんのピンクのプラスチック板を見つけたのですが、2008年5月9日となっており、最近のものです。山猿の山行き記録はリンクが切れて見られないのですが、山の内1三角点まで歩かれたようで、尾根にはところどころ赤いマーキングがあり、助かりました。605mピークを過ぎ、その先の540m+ピークで南西方向の尾根に降りかけて戻り(この尾根で下山するルートもありと思います)、551mピークへ南下しました。このピークから次のピークまでが若干難所で、上手に尾根の方向に降りる必要があります。倒木のある尾根に無事に降りられれば、その先は藪っぽいですが問題なく進めます。

石ヶ谷四等三角点(578.54 m)で一休みし、西に進みます。この付近でも時々禿の行者山が見えますし、南の七種山が見えることもあります。590mピーク(ここも川口ピークです)から下山することにしました。北の方に尾根を降りて行きました。希望としては北西に長く延びる尾根に行きたかったのですが、歩きやすい方向に尾根を降りると、ほぼ真北の尾根を降りることになりました。途中にも展望の良い川口ピークがありました。植林の尾根で、作業道もないので適当にジグザグに降りることになります。足元は杉の枝と柔らかい土なので、足にはかなりの負担がかかります。下山に40分ほどかかりました。最後は小川を渡って石積を登れば林道です。山の上から見ると林道の終点に白い堰堤が二つあったので、行ってみたのですが、平成16年と新しいものです。しかし見上げても岩場はよく見えませんでした。

全部で4時間半ほど歩きましたが、展望もあり岩場があって変化があるので長い尾根歩きとしては楽しめる方だと思います。下山も藪に出会わなかったので上出来と思います。それにしても、偉い行者さんが住んでおられたのですね。

展望 ★★★
藪山度 ★☆☆

2008年9月20日土曜日

上月の高倉山と宮ノ下三角点

羽柴秀吉が上月城攻略の際に陣を敷いたので有名な高倉山です。上月城とは佐用側を挟んで向かい合う位置にあります。この山の尾根は以前は南光町と上月町の境界でしたが、今は佐用町に統合されています。

179号線を西に走り、徳久駅前を直進して千種川沿いに走ります。登り口は、送電線が千種川を渡る場所にしました。地形図ではここから峠越えの破線道があります。ところがこの破線道は農場の中を通っているようなので、右手の急な丘を送電線の鉄塔を目指して登りました。ここは笹藪と書いてあったので([1])警戒はしていたのですが、背丈以上に伸びた笹が密集した非常に登りにくい斜面でした。かなり苦労して鉄塔に着きましたが、これはどう考えても不正解なルートです。

鉄塔は佐用線13です。ここから尾根沿いに登っていきますが、すぐに尾根は笹で覆われてしまい、破線道は消滅します。笹藪というのは笹だけではなく、灌木や蔓草が混ざっているため、前進に時間がかかります。北側の林に逃げ込むと、ここにも笹は生えていますが、いくぶん歩きやすくなります。最後はまた笹藪をかき分けて進みましたが、細かく砕いた発泡スチロールが散乱している場所を抜けると、ようやく植林に出てきました。関電の赤い「火の用心」が立っており、14号鉄塔は登りとなっています。ここは150m程度の標高ですが、ここにいきなり出てくるルートで登るべきです。北斜面は植林ですが、関電の巡視路が通っているようで、おそらくそれを使えばここへ出てくるのではないかと思います。

この先は斜面にえぐられた道を伝って峠まで出ます。峠からは尾根を西に歩きますが、ここも笹が茂っていて歩きにくいので、北側の植林に少し降りて歩きました。この先の尾根は笹と倒木が邪魔ではありますが、歩くのにはさほど支障がありません。傾斜もほどほどです。最後に尾根に出たところで右に曲がると、高倉山(357m)の頂上に出てきます。羽柴秀吉が陣を敷いたというだけあって、頂上付近に平坦地がたくさんあります。特に南西側は何段にも渡って明らかに人工的な平坦地がありますが、今は植林されています。陣を敷いただけらしく、石垣のようなものはありません。

ここから先の尾根に進むには、頂上から西の雑木林の方向に降ります。そして尾根沿いに南に歩きましたが、ここも歩きやすい尾根です。そのうちに智頭急行のトンネルの上に出てきますが、ここの尾根から北の佐用方面を望めます。南側も少し見えます。そして、ちょっとピークに登って少し歩くと宮ノ下三等三角点(299.12m)がありました。標石は笹に囲まれて、あまり地面から出ておらず、角が欠け気味で、そのうちに発見不可能になりそうです。(写真)

ここから先の尾根には道があり、落ち葉を踏みしめて気持ちよく歩けます。次の290m+ピークを南に折れ、植林を進みました。この先にも道がありますが、真っ直ぐ歩くと東に進路が変わります。これは平谷集落の北の尾根に出る道だと思いますが、途中から藪になってしまうので、少し戻って南側に下る分岐を見つけて、西向きの尾根へと進みました。234m地点は雑木林ですが、ここで背の高い笹藪の向こうにある植林の尾根を見つけて、更に南に進みました。少し痩せ尾根があり、それからまた190m+のピークに登り、南の尾根に進みました。ここには鞍部を横切る道があり、それを東側に降りると地形図にある実線道に出ました。車が通れるくらいの道ですが、倒木があります。下っていくと道はどんどん良くなり、智頭急行の下をくぐると平谷の集落に出てきました。あとは千種川沿いに車まで戻りました。

最初の登り口は全く感心しません。むしろ西側の佐用川側から登って、尾根を最後は仁位まで歩いて下山するのが正解なのかも知れません。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★ 最初は強烈

2008年9月13日土曜日

明神湖の西の文殿三角点

菅生川を遡って、中国自動車道を四つ辻でくぐり、さらに北に行くと菅生ダムでせきとめられた明神湖がありますが、その西の山にあるのが文殿(ふどの)三角点(508.4m)です。この山は、名前がよく分かりません。松尾だという説もあります([1])。登り方は、地形図で見ると明神湖の手前のトンネルの上から登るのが楽そうですが、果たしてトンネルの上に出られるか、行ってみなければ分かりません。

菅生ダムから少し上流に行ったところに駐車場があります。ここからダムの方に戻る途中に、山に登る階段がありますが、はっきりと「立入禁止」とふりがな付きで書いてある看板が立っていますから、ここから登るのは気が引けます。そこで、ダムの脇にある兵庫県知事の署名のある菅生ダム記念碑の奥から尾根に登りました。文殿トンネルの上には切り開きがあり、少し登ると右手から階段が上がってきています。階段はこの先尾根を真っ直ぐに登っていくので、尾根登り変じて階段登りとなります。

この文殿トンネルは不思議なトンネルで、真ん中にドアがあります。ダムの側のドアは記念碑の脇にあるドアに出てくるのだと思いますが、反対側がどこに出るのか謎です。階段を下りて調べてみれば良かったかも知れません。なお記念碑の脇にも尾根に上る階段がありますが、上は藪なので役に立ちそうには見えません。

尾根の階段はまっしぐらに尾根を上りますが、一段が25cmもあって楽な登りとは言えません。急峻な尾根ですから、手すりの付いた階段のほうが楽なのは間違いないのですが、それでも休みながら登りました。階段は100m以上の標高を登って、「青のり山中継局」に到達します。ダムの状況を伝えるための専用中継局でしょう。地形図で見ると、ここは320m+のピークです。安志方面がよく見えます。

この後は、雑木林の尾根を登りました。そのうちに東側は植林になります。道ははっきりしており、勾配も緩いので楽ですが、最後に頂上に登るところは急斜面です。このピークはどちらから登っても急勾配のようです。山頂には文殿四等三角点(508.2m)があります。この付近は植林ですが伐採されています(写真)。とはいえ、展望はありません。

頂上で一休みして下山にかかりましたが、ここで大間違いをしました。北東に尾根を辿って小畑の方に降りるつもりだったのですが、気がついたら反対に西に尾根を歩いていました。山頂に南から登ってきたつもりだったのですが、実は最後は東側から上り詰めており、山頂で方角を確認するのを怠ったのが祟りました。山頂からの急勾配を降りた後だったので、引き返すのはやめて計画していた二つめの下山ルートを試すことにしました。これは、文殿にある補陀落寺の尾根に降りるという計画です。まず尾根を500mの小ピークまで歩き、南側の岩場を降りました。これで南西方向の尾根に乗ることができます。植林で割と歩きやすい尾根ですが、真っ直ぐ歩いて行くと谷に降りてしまいます。この谷には破線道があるのですが、本当にあるのか信用できないので、なるべく尾根を歩くことにしました。南に尾根を乗り換えて、更に南東の尾根に乗ろうとしましたが、結局この尾根にはうまく乗れず、そのまま尾根を最後まで歩くと谷に出ました。湿気の多い谷で、ヒルに食いつかれましたが、しっかりした道があり、文殿まで降りて、菅生ダムまで戻りました。

階段から頂上までは、適当な登山コースだと思います。展望もあります。あとは、方向をちゃんと確認すること、これに尽きます。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆

2008年9月7日日曜日

山崎の横野三角点

横野三角点は、山崎町の塩田と上牧谷の間の山にあります。付近に横野という地名が無いので、探しにくいと思います。この三角点は塩田と上牧谷を結ぶ県道523のすぐ北にあり、アプローチは簡単そうです。

車を塩谷にとめ、舗装された県道523を歩き始めます。すぐに「通行不能 塩田一宮線」と書いた札が立っています。舗装道路は左に折れて進んでいます。先に行って通行不能にしろ、舗装道路が県道だと思うのが普通のような気がしますが、実はこの舗装道路は地形図で北に分岐している林道です。間違えて舗装道路を歩いたのですが、途中に配水池があり、その谷の奥でいきなり終わります。その先にも作業道があるようで、ここからでも山には登れそうでしたが、目的の三角点からは遠いので、県道に戻りました。

地形図で破線道になっている県道は、どんどん藪っぽくなります。しかし途中に「火の用心」と書かれた赤い札が立っており、これが関電の巡視路になっていることが分かります。これは非常に心強いことで、谷の南側斜面が大倒木地帯でも、道はとりあえず歩けますし、最後の峠の手前には関電の黒いプラスチック階段が敷設されています。

峠に出ると、上に63、下に64、右に「降」と書かれた赤い「火の用心」が立っています。目指す横野三角点は64号鉄塔の脇ですので、64を目指します。63号鉄塔には、前日2008/09/06に行っています。64号鉄塔へは植林の中の良く整備された道を登ります。最終は急勾配ですが、意外とあっさりと鉄塔に着きました。播磨西線64号鉄塔で、これも巨大です。東西の展望が良く、水剣山の反射板、黒尾山の鉄塔も見えます。忘れてならない横野三角点(406.3m)は、鉄塔の少し南にあります。

鉄塔から北に尾根を進みました。しばらくは65鉄塔に行く巡視路がありますが、これは東隣の尾根にある鉄塔なので、途中で尾根から降りてしまいます。こちらは真っ直ぐ尾根を進みます。植林の中の気持ちよい尾根歩きですが、一部分倒木地帯があります。次の480m+のピークへの登りは大変な急勾配で、木と岩に掴まってよじ登りますが、木は枯れていますし岩はぼろぼろに砕けてしまうことが多く、手こずりました。頂上は岩場ですが、展望はありません。

少し北に歩くと、眺めの良い植林の尾根に出ます。眺めが良いのは木が刈られているからで、北側の展望があります。この付近の尾根は手入れが良く、林道が近くまで来ていることをうかがわせます。最初に間違えて終点まで行った林道が、この尾根の西に来ています。そちらにも下山できそうでしたが、目標は尾根を北に進んで中野から塩谷につながる破線道に出ることでしたので、北東に尾根を進みました。その尾根の東の端は岩場ですが、アンテナ群があります。普通のVHFアンテナの他にコイル状のアンテナが立っているのが目を引きました。もう使われてはいないようです。東側の展望があり、目の前に水剣山がそびえています。

ここから尾根は北西に向かいます。しばらくは植林ですが、だんだん倒木が増えてきて、倒木地帯に突入です。だいたい標高460mから470mの間の付近は倒木が多く、その間に背の高い草が生えています。幹の太い草で、半分以上は枯れていますが、足元が見えないので倒木がどこにあるかすら分かりません。少し西側に降りてゆっくりと進みました。その先には450m+の鞍部があり、ここから西に植林を降りようかと考えていたところ、石仏を見つけました(写真)。地元の方が置かれた物のようで、人物は一見すると町人のようですが、蓮に載っているところを見るとこれは仏像なのでしょう。それよりも、この山の上まで来て「家内安全」というのに驚きました。ここまで来て家族を思う気持ちに元気づけられて、もう少し尾根を西に進みました。

ところがこの鞍部からすぐの所で東側を見ると、大規模な伐採が済んでおり、尾根から東側が裸になっています。ここが中野から塩野に抜ける破線道が通っているべき谷であり、おそらくひどい倒木が起きてそれが処理された跡なのでしょう。尾根上は木が切ってありますが、西側への倒木はそのままで、草も生え放題です。尾根を進むのは大変でしたが、東側の眺望は素晴らしく、目の前の水剣山から伊沢川の上流がよく見えます。

尾根の西側に破線道を探しましたが無いので、急勾配の植林を降りました。それから倒木の多い沢を降り、さらにシダの大草原を通り抜けると、林道に出てきました。これが地形図の実線道のようです。ところがこの林道は南にも延びています。とりあえずは地形図どうりに西に進みました。かなり溝の深い未舗装林道ですが、歩くのは楽です。そのうちに道がだんだん登りになるので地形図で確認すると、この林道は地形図の実線道とは違って北斜面を水平に進んでいます。地形図で実線道が南に折れているところに行ってみましたが、谷の真上で、道はありません、林道をそのまま進むか地形図の道を探すか悩みましたが、林道はどこに繋がっているか全く保障がありませんから、谷を降りてみることにしました。この谷は倒木が多く、沢は歩けないので斜面を斜めに降りました。しばらく降りると林道に出てきましたが、終点ではなく、北と南に分岐していました。可能性としては、北への分岐は先ほどの水平道に、南への分岐は尾根から降りてきたところで南に向かっていた林道に繋がっていたかも知れませんが、確認しないことには分かりません。

この後は、林道を降りて車まで戻りました。

県道523にはよくお世話になっています。与位から梯に繋がる倒木で塞がった峠越えの道も、梯から大谷に繋がる峠越え(見つけられずに梯の村の中に出てきた)もそうです。そしてこの大牧谷から塩谷に繋がる峠越えも、自動車はおろか歩くのさえも大変です。県道と言うからにはもう少し整備していただいても良いのではないかと思います。

展望 ★★☆
藪山度 ★★★

2008年9月6日土曜日

山崎町青木から登る北の尾根

なんと説明したらよいのかわからない尾根ですが、山崎から中国自動車道の北に連なる尾根です。2007/04/28にはその東端の最上山から尾根を歩き、上牧谷三角点付近で倒木に疲れて下山しました。その尾根の続きを歩いてみたかったわけです。尾根は青木の付近から北西に向きを変えて、県道523でいちおう切れています。この付近までを目標としました。

上牧谷三角点を避けるために、北西にある460m+のピークを目標としました。このピークから伸びる尾根は、山崎町青木に達しています。尾根の端の北側標高200mほどの所に建物のマークがあり、ここまでは道がありそうです。そこで、青木の西にある林道から入ることにしました。この林道は谷をぐるっと回って西の尾根に達していますが、入り口のあたりから東の尾根に取り付くことを考えました。

林道の入り口にある獣避けの金網の扉を開けて入ると、すぐ右手に階段が見えます。大変な急階段で、けっこう長いので疲れますが、登ると地形図の建物マーク、青木配水池があります。この先は道がないので、藪に入ります。作業道らしき踏み跡があるので尾根まで登ると、やや深く溝が掘られています。この溝に沿って尾根を登っていくことができます。最近になって思いついたのですが、このような尾根の溝は、むかし山から材木を降ろすときにでも使ったのでしょうか?溝の中に倒木があって歩きにくい場所もありますが、方角としては溝に沿って登れば尾根を登れます。溝の終わりは標高350mほどの広い尾根で、東側は植林です。ここからは頂上を目指してひたすら登ります。

青木から1時間ほど登って、460m+ピークに着きました。北側の上牧谷が見えます(写真)。風が心地よいのですが、風通しが良いために植林が倒れたのでしょう。倒木は処理されて短めに切られているので、その上を歩いて北西に尾根を進みます。倒木だけならよいのですが、間に背の高い草が生えています。特に鞍部まで降りると草が元気よく茂っており、足元の倒木が見えなくなってきます。また、太い倒木は乗り越えればよいのですが、細い倒木には枝が付いているので乗り越えるのも大変です。しばらくは倒木の多い尾根を避けて北側の雑木林を通りました。

再び登りで、また460m+のピークがあります。ここは雑木林ですが、木の密度が低いのでこの付近の雑木林を歩くのは困難ではありません。蜘蛛の巣だけが問題です。このピークからは西に尾根が延びており、青木に戻ることも可能ですが、尾根を辿るために北東に進みます。小さなピークを越えて、すぐにまた460m+ピークがあります。ここから北西に延びた尾根を降りてゆきます。ところどころ切り開きがあります。雑木林の倒木は数が少ないので問題ありませんが、植林の倒木もあって避けるのに苦労します。

尾根が県道523の鞍部と接近している付近の北側は植林で、倒木地帯でもあります。北に降りる道がないか気をつけていたつもりですが、特に良い道があるわけでもないので、そのまま尾根を歩いて398mピークに出ました。この付近も雑木林です。そして、その先の送電線の鉄塔に行きました。播磨西線63鉄塔です。平成9年建設の巨大な物です。足の間の距離が20mくらいあります。

送電線の巡視路で下山するつもりだったのですが、鉄塔の周囲に赤い火の用心の板が見つかりません。東側には登ってくる道があるのですが、これにも火の用心は無く、西側には道すらありません。しかたがないので尾根に引き返し、398mピークから南西に延びる尾根で下山しました。これは大正解で、最初は藪でしたが、最後は例によって溝があり、それに沿って降りると植林に入り、最後は地形図の神社マークに出てきました。小川を渡ると林道があり、獣避けの扉を通ることができます。

このコースは尾根に倒木が何ヶ所かあるので、あまりお勧めはできませんが、他は標準的な尾根歩きです。三角点が無いのが残念ですが、実は地形図を見ると出発点近くの鍛冶屋に155.1mの三角点があるはずです。道路脇を探したのですが、結局見つけられず残念でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆ 倒木あり




2008年9月5日金曜日

福崎の住吉山

中国自動車道が東から福崎の街に近づくときに、その南に東西に延びているのが住吉山です。山の北側に住吉神社があります。200mそこそこの低山ですが、だからこそ藪には要注意です。登り口は山の西側の余田にしました。「福崎町戦没者慰霊塔」と書かれた登山口を登ると、「兵庫県知事 金井元彦」と署名のある昭和42年建立の立派な慰霊碑が建っています。この辺りまでは車でも登れます。その先に「余田配水池」という名前の池ではなく給水タンクがあり、ここからは山道となります。

斜面を登っていくと、鉄条網で囲まれた場所があり、それを避けて通りますが、中には壊れかけた木の小屋があるだけです。以前は鉄塔でも建っていたのかも知れません。そのまま登ると、ほどなく住吉山四等三角点(200.40m)に着きます。市川方面の展望があります。

この先も尾根道が続いています。途中で倒木に腰掛けて休んでいると、蚊がたくさんいるのに気がつきました。低山の問題の一つです。しばらく歩いて、少し登ると次は八千種山三等三角点(257.41m)です。八千種は、余田の南の地名で、ここが八千種山だというのはちょっと納得できません。

この東側の尾根には三叉路があります。直進すると山を下りますが、右(南)に曲がると更に尾根を歩けます。加西市と神崎郡福崎町の境界です。しかしこの道はやや藪っぽく、ここまでは半袖可でしたが、ここからは長袖着用になります。シダが生い茂っていたり、道の脇に大きな岩があったりしますが、迷う可能性は少なく、吸谷町から余田に抜ける道の通る鞍部に出てきます。ここで山を下りることもできますが、更に南の斜面を登ると、送電線の鉄塔(玉野溝口線21)があります。ここでは東の北条方面の展望が得られます。

送電線から南に歩くと、送電線の保守路は西側に降りて行きます。ここから南の山は道が無く、藪を抜けて歩きます。灌木が茂っている場所は無いので歩けるのですが、枝や蔦を払いながら歩かねばなりません。その南の山は260m+ですが、何もありません。真っ直ぐ南の尾根に降りると、ここからはしばらく道があります。これは西へ市界を辿っていきます。途中で一度尾根から少し南にはずれますが、また尾根に戻ります。しかし、その先で道はなくなり、またしても藪漕ぎになります。

藪を抜けて、急な下り坂の手前に福井谷四等三角点(183.49m)があります。周囲は藪で、三角点も腐葉土に埋もれています(写真)。この先は斜面を降りると道があり、鞍部の破線道に出ます。この先も藪抜けを覚悟すれば歩けそうでしたが、破線道で南西に降りることにしました。この道も倒木などで見失いそうになりそうな道ですが、とにかく山を下りられました。最後は植林の端を降りました。

割と良く整備された道と、雑木林の藪の両方のあるルートでした。南側の山は蛇足で、住吉山だけで東に下山するか、鞍部から西に帰るか、送電線巡視路を使って下山するべきだと思います。道の良い部分は空き缶などがたくさん落ちており、道が悪い部分は藪っぽくて歩きにくいというのが問題でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆