2012年4月28日土曜日

三日月の高丸山再び


かつての三日月町最高峰高丸山には2006/12/02に登りました。この時は上本郷の添谷から熊野神社経由で登りましたが、途中に大倒木地帯があって苦労しました。そこで今回はコースを変えて、より南の本郷川沿いの天満から長い尾根を登ってみました。

立派なお屋敷の前から山に入る道があります。これは墓地に行っていますが、踏み跡があるので更に登ると、また墓地がいくつかあって天満神社という小さな祠がありました。そういえば地名も天満です。ここからは尾根を歩きましたが、おそらく東側の谷を登り詰める方が楽です。この付近は非常に手の入った地形となっており、崖もたくさんありました。やっと自然な尾根に出ると、踏み跡程度しかないものの歩くには差し支えありません。最初は小ピークがいくつかあり、それから急斜面を登って標高350mを過ぎ、徐々に登って380m+に入ると、植林の倒木地帯になりました。ここは西側斜面が緩やかなので、西側に降りて歩いていたのですが、最後は急斜面になったので尾根に戻ると、相変わらずの倒木と藪で歩けません。今度は北側に少し降りて、390m+まで来ると倒木地帯を抜けました。ここが登り最大の難関でした。

この後は多少の倒木はあっても落ち葉を踏んで歩けるようになり、高丸山山頂に着きました。角が削れて丸くなった上本郷二等三角点(536.15m)が埋まっていました。展望はありません。ここからは前回同様に北に歩きました。前よりも倒木が増えたような気がします。北に二つ目のピーク付近では測量の跡が残っていました。国土調査の赤テープはいたるところにあります。534mピークでは方向を見失って少し迷いました。2006/12/02の記録に注意するように書いてあるのですが、学習能力がありません。534mピークから北東方向に尾根を降りると、地形図には無い林道がありました。自動車が通れるくらいの幅があります。前回はこれを東に行ったと思いますが、今回は西に進みました。倒木はありますが草は無く、北斜面を巻いていく道です。西に向かうにつれて傾斜が急になり、この付近はコンクリート舗装になっていました。北側には播磨西線の送電線が見えて、鉄塔が一本だけ昼間でもライトが点滅していました。

この道は、2010/08/16に歩いた林道と繋がっていました。2010/08/16の地図に「右にも道あり」と書いてある地点です。ここからは地形図にもある曲がりくねった道を歩きました。この道は播磨西線55の巨大な鉄塔の下を通っており、二つの太陽電池パネルもよく見えました。その後で道は二つに分かれますが、54鉄塔の方向には行かず、南に降りました。地形図で見ても分かるように、この先でこの二本の道は再び合流し、そこから南に鎌倉谷を歩くことになります。ここまでの林道はよく整備されていたので、問題無く歩いて行けると思ったのですが、合流点から南の谷は倒木で埋まっていました。しかし国土調査の赤テープは下がっており、多少整備した形跡があったので、無理を承知で谷を歩いてみました。この付近は2010/05/29に歩いているのですが、その時は西側の尾根を通りました。尾根が絶対に正解です。

「播磨山の地名を歩く」によると、鎌倉谷では黄銅が採れたとのことで、谷は狭く両側は岩がせり出しています。当然非常に歩きにくい場所です。昔は道があったことは明らかですが、谷のどちら側にあるのかが分からず、場所によっては斜面に付けられた道が完全に土砂で流されており、急斜面を横切らざるを得ません。岩には採掘跡と思われる穴があいている所もありました。一ヶ所だけ、きれいな石積みがあって、その上に洞穴があったので見に行ったところ、行者様でした(写真)。この先も倒木が多く、危険な谷歩きが続きました。国土調査の赤テープだけはずっと続いていますが、必ずしも道を示すものではないようでした。1時間近くかかって地形図の破線道部分を抜けました。実線道は良い道でした。途中に深山三角点があるはずなのですが、疲れ果てていて探すのを忘れました。代わりというわけではありませんが、宝暦12年と書かれた首の無い石仏を道の近くに見つけました。

鎌倉谷の荒れ方は予想外で、ショートコースのつもりが4時間半かかって天満まで戻ってきました。高丸山は、やっぱり手強い山でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「土万」です。

2012年4月21日土曜日

仏谷の東の尾根


今回は仏谷の東側の尾根を歩いてみました。登り口は馬瀬の住吉神社です。この神社は地形図には記入されていませんが、南の溜池の北側にあります。ここから溜池沿いに西へ入る道がありました。かなり荒れていますが、とにかく奥まで行くと谷間で終わっています。あとはその先の谷の北側を登りました。かなりの急斜面でシダも多く、苦戦しました。結局そのまま斜面を登ったのですが、早めに南側の尾根に移ってしまうのが正解だったと思います。

尾根に上がると道があり、あとは展望とツツジを楽しみながら北に縦走しました。これまで登った尾根を見ると、斜面は結構崖が多いのに驚きました。この付近の尾根を歩くと必ず出会うのが播磨線の鉄塔ですが、ここには鉄塔168がありました。ここからも良い展望が広がっています。鉄塔の手前の鞍部には、東から巡視路が上がってきていました。巡視路は鉄塔で終わりなので、あとは踏み跡を辿りましたが、シダが腰のあたりまで茂っており、倒木も多く疲れました([1])。途中に、標高350m付近で西に水平に行くはっきりとした道がありました。我慢してまっすぐ登ると、主尾根に出ました。470m+のピークです。ここから西に尾根伝いに歩くと、三草山2三等三角点(449.95m)のある大坂山に着きました。

大坂山で一休みして、南に尾根を降りました。これは2012/04/07に登ってきた尾根ですが、400m+の小ピークから、前回通った324mピークへの尾根ではなく、西の尾根に進みました。小ピークから少し南に降りると岩盤の下を西に行く道があります。これが関電の巡視路となっています。ここは岩場が多く、周辺の尾根から見て一度は登りたいと思っていた尾根です。岩場は沢山ありますが、特に危険ではありません。鎖のガードレールが設置されている場所もありました(写真)。展望も抜群です。ここにある播磨線166鉄塔は遠くから見て凄い場所に立っているなと思っていたのですが、じっさいかなりの急斜面に立っている巨大な鉄塔です。耐張型鉄塔なので、力強い感じがします。

ここでも一休みしてから、巡視路を降りました。岩場の尾根を降りて行き、数曽寺谷に降り立ちました。ここには関電の赤い「火の用心」が立っています。あとは数曽寺谷を南に歩いて帰りましたが、この谷は上流では水があるのに途中では消えてしまう不思議な谷です。そのくせ堰堤の下には青い水が溜まっています。最後は溜池の周回道路で別荘地帯を抜けましたが、デカンショ街道は車がとばすので歩くには向かない道です。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆
地形図は「比延」です。

2012年4月14日土曜日

万願寺町の大字子山



この山の名前は[1]で知りましたが、何と読むのか分かりません。万願寺川と芥田川に挟まれた山塊の最高点がこの山なのですが、今回の目的はこの山並みを全部歩くことです。

南から北に歩くことにして、下道山町で登り口を探すと、墓地がありました。真っ直ぐに斜面を登ると生け垣で囲まれた墓地があり、戦死した人達の墓が15基立てられています。一番大きなものは日露戦争のものですが、数が多いのは太平洋戦争のものです。この裏手は笹が茂っていますが、歩いて抜けることができました。土砂崩れ対策がされており、何年か前に一度更地にされたようです。笹藪を抜けると林に入り、稜線に出てきました。大した距離でもなく勾配も緩やかですが、藪抜けに忍耐の必要な登りでした。

縦走に入っても、典型的な里山の藪山で、倒木の多い雑木林でした。稜線上が歩きにくい時は少し東側に降りて歩きました。標高200m位の所にコンクリート製の祠がありましたが、中は空っぽでした。ちょっときつい斜面を登ると、中山四等三角点(273.97m)に出ました。この付近は明らかに人の手が入っており、たくさん穴が掘られていました。[2]ではこの先の323mピークが芥田城(けたじょう)らしいとしていますが、こちらの方が城跡っぽい雰囲気でした。

この先はちょっと尾根道がありましたが、すぐに倒木の多い自然林に戻りました。時々東西の展望があります。写真は深山です。しかしなかなかまともな道に出会いません。踏み跡があっても倒木が邪魔ですし、ピークにはシダが茂っています。展望とツツジを楽しみに歩いて行くと、岩の多い急斜面に出ました。これを登ると谷田四等三角点(349.24m)でした。ここが大字子山のようです。この先は歩き易くなり、送電線の巡視路に出会うと道になりました。紅白に塗られた播磨線124鉄塔があり、共同アンテナ(「平成21年度電波遮蔽対策事業費等補助金事業」と書いてあるので現役なんでしょうか?)あたりは歩き易い尾根です。最後はちょっと倒木の多い斜面を降りて、女切坂(名前の由来を書いた説明板が立っています)に出てきました。

ほぼ3時間かかりました。あまり書くことがなくて短いレポートですが、ちょっと藪っぽい山をたっぷり歩くという目的には十分で、楽しめました。今年は桜とツツジが同時に見られる珍しい年でした。出発点までは万願寺川沿いの土手を歩いたので快適でした。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「北条」です。


2012年4月8日日曜日

加西の天雲山


天気が良いのでショートコースを登って来ました。場所は加西市大内町から殿原町の間の万願寺川南にある山で、[1]で所在を知りました。ただし逆コースです。

大内町の若一五社神社の手前に、「天雲山遊歩道入口」と書かれた標識があります。ここから登山道を上がりました。すぐに道端に五社四等三角点(134.15m)があります。三角点の名前は五社神社なのに、なぜか地形図には神社が描いてありません。その先には、しっかりした鍵付きのドアがあります。鍵は簡単に開けられて、あとは真っ直ぐの登りです。登山道にしてはあまりに幅が広く真っ直ぐなので、防火帯かも知れません。途中にいくつかアルミのベンチがありました。真っ直ぐ登った先にはNHKの通信棟があり、展望が広がります。更に真っ直ぐ登ると、天雲山山頂に着きました。ここも展望が素晴らしく、西の一部の方向を除く全方位が見渡せます。写真は若井町の方向です。

ここからは尾根歩きですが、道は狭くなるものの整備されており、迷うこともなく一度鞍部に降りて登り返し、大内三等三角点(301.16m)のある山頂に着きました。ここは樹木が邪魔で展望はありません。この先は庚申山まで縦走しましたが、最初は踏み跡すら無く、倒木を跨ぎ、枯れ枝を折りながら進みました。シダが少ないので助かりました。ちょっと辛抱すると道らしきものが復活し、あとはそんなに苦労しなくても歩けました。時々木の間から北や南が見える程度で、展望は期待できません。

236mピークは、大きな木が広い間隔で生えている落ち葉で敷き詰められた広いピークでした。この付近からまた藪っぽくなり、上手に灌木と倒木を避けて歩かねばなりません。ただし倒木といっても植林ではないので、真っすぐ歩けないというだけのことです。谷合四等三角点(222.65m)も周囲は藪です。藪といっても下草はあまりないので、標石も覆われることはありません。この先も広い尾根で、ちょっと藪に疲れたなと思っていたら、いきなりベンチが現れました。「登山口・庚申堂」と「あたご社・権現池口」と書かれた標識が立っており、遊歩道がありましたので、庚申堂を通って登山口に降りました。途中少し遊歩道を探索してみましたが、「いきものふれあい広場」に行く道の真ん中に猪捕獲用の大きな檻が置いてあるのにはびっくりしました。この一帯は「石部・庚申の杜」だそうです。

最初も最後も整備された遊歩道で、その間は結構な藪というキセルのようなショートコースでした。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「北条」です。


2012年4月7日土曜日

仏谷の西の尾根



仏谷というのは、加東市の三草山から、三草川を挟んで北西にある谷です。地形図には西から廻谷、数曽寺谷、仏谷と南北に走る三本の谷に名前が書かれています。これらの谷を作っている南北に走る尾根はどれも岩場だらけで、眺望が良いことは間違いありません。今日は仏谷の西側の尾根を登ってみました。

登り口は仏谷からと決めていました。三草川は国道372号線(通称「篠山街道」「デカンショ街道」)沿いに三草山の北の谷を走っていますが、源氏と平家の古戦場である山口の北に、三草川が農地を避けて大きく迂回し、北の山に添って流れている所があります。仏谷はこの農地の南端から入るのですが、行ってみると川が渡れません。しっかりとした護岸のある川で、無理すれば渡れなくはないのですが、水量があるために靴がびしょ濡れになることは間違いありません。倒木が一本渡してあり、その上を歩けば渡れますが、下は川で高さもかなりあって、そんな度胸はありません。しかたないので大回りですが街道沿いの山を経由して仏谷に出ることにしました。山口の北にある街道沿いの山は見上げると岩が多く、眺めもよさそうでした。そこで街道を山口まで戻って、登り口を探しました。この山は街道に沿って細長いのですが、川を渡るには山口まで戻らねばなりません。山口の北東にある溜池(シル谷池)まで道があり、その付近から登り始めました。典型的な藪山で、低木とシダが茂っています。シダを避けながら登りましたが、明確な道は無いか、あっても背の高いシダで埋まっています。尾根まで登っても状況は変わりません。南のピークは展望もほとんどありません。一度鞍部に降りて北のピークに登るようになると岩が増えてきてシダが減り、展望も良くなります。街道を見下ろせる岩場もいくつかあります。街道に沿って置かれているコンクリート製の戦う武士のレリーフがよく見えました。もちろん三草山も見えますが、標高が低いので滝野の町はわずかしか見えません。北のピークの先は急斜面で川に落ち込んでいることが分かっていたので、北の林を抜けて、谷を通って仏谷に出ました。ほぼ1時間かかって、渡れなかった対岸に出ました。

仏谷には地形図どうり道がありますが、次の目標は山口上三角点です。仏谷にちょっと入ってから尾根に取り付きました。ところがこの付近は不思議な地形をしており、なかなか急斜面になりません。しばらく平なところを歩いて、やっとシダの茂った尾根に着いたのですが、ひょっとするとこの辺でかつて鉄を採っていたのかも知れません。シダの尾根はなかなか手強いのですが、所々岩場もあって展望もあります。登るにつれて景色が良くなっていきます。山頂もシダが多いのですが、山口上四等三角点(232.92m)の付近は少し刈ってあります。

ここからは北に尾根を縦走です([1])。登ってきた尾根に比べればずっとシダも少なく、明確な道があって歩きやすい尾根です。隣の尾根がどちらも崖が多く迫力がありますし、高度が上がるにつれて遠くも見えるようになります。歩いている尾根も岩場が多く、岩を乗り越えて歩く場所もいくつかありました。324mピークへは西側の尾根から関電の巡視路が上がってきており、この先は尾根道がますます歩きやすくなりました。急な岩場には鎖まで用意されています。そして紅白に塗られた播磨線167鉄塔に出てきました。三草山の東には新築の無量寿寺が山の間に見えています。この先も岩盤の多い尾根が続きますが(写真)、ここも巡視路として整備されています。比延方面が見えるようになり、シダの茂った急な斜面を登ると、大坂山山頂に着きました。三草山2三等三角点(449.95m)があり、四方に展望があります。ここは「数曽寺山」だという説もありますし([1])、「津万郷山」という名前もあります([3])。

ここからは東に尾根を縦走しました。シダが茂っているところはあるものの、快適な尾根道です。マーキングも多く、迷うところもありません。仏谷の突き当りの鞍部には道が上がってきており、ここから東には灰色テープのマーキングがあるので、仏谷からは道があるのかも知れません。480m+のピークから少し下って登り返すと、459mピークです。この付近では最高峰で、数曽寺山という札があるのですが、異議と唱える書き込みもあり、「ウツロウ山」という説([2])や「せ山」という説([1])もあって、名前は分かりません。北側の展望があります。地形図ではここには馬瀬から谷あいの道が来ており、それが東の谷を通って降りていっています。山頂に来た道は「大坂山」、その先の道には「馬瀬」と黄色テープに書いてありますが、この「馬瀬」が破線道なのか、だいぶ迷いました。結局その「馬瀬」に向かうと、これは稜線沿いの道でした。つまり破線道は見つかりません。しかし最初から鉄塔の尾根で下山するつもりだったので、これは好都合でした。じっさい490m+ピークを道なりに歩くと、鉄塔の尾根に降りて行きました。ということは、この先の東の尾根に行く道は無いということになります([3][4])。

この尾根もシダは茂っていますが、しっかりとした道があり、展望も良好です。340m+ピーク手前の鞍部には、西側から道が来ていました。それをやり過ごしてピークを越すと、播磨線170鉄塔がありました。ここも展望良好です。これを過ぎると関電の巡視路になり、ハイキングになります。道端にある馬瀬四等三角点(299.02m)を過ぎると下りになり、おびただしい数の黒いプラ階段が使われています。巡視路に従って、234mピーク手前の鞍部で西の谷を降りました。降りるときは迷いようもないのですが、登りの時には沢伝いの道の終わりからプラ階段が見えないため、ちょっと分かりにくいかも知れません。赤いテープの所をまっすぐ登ればよいのですが。最後は溜池の下に出てきました。

やはりこの付近の尾根は楽しめます。広い播磨平野が一望にできますし、岩場は勾配が緩くて危険な箇所もありません。しかし仏谷に入れないのだけは、何とかして欲しいと思います。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆ 最初の山は除く。
地形図は「比延」です。


2012年4月1日日曜日

吊尾根から登る金城山


前回(2012/3/3)に金城山に登った時に気になっていたのが、金城山の南西から金城池の方向に延びる岩の多い尾根です。楽しそうなので、行ってみることにしました。

長明寺を抜け、頼政池を通って、金城池の北側の道に出ました。真っ直ぐ歩いて行くと箙谷に入り込むので、適当な所で河原を横断して、尾根先の下を通る道に出ました。この道はゴルフ場に繋がっており、尾根の先は崖になっていますが、その北側を探すと、岩をちょっと登った所から道がありました。踏み跡と言うよりは、一度は整備された道で、今はシダが茂っていますが、登山道であることは間違いありません。すぐに尾根に登れて、そのまま尾根歩きとなりました。

下から見上げても分かるように岩場の多い尾根ですが、ちょっと崩れやすい所がある以外は特に危険ということもありません。岩場以外は松のような低い木とシダで覆われていますが、道はしっかりあります。振り返ると西脇から滝野までの加古川沿いが見渡せます。シダが腰くらいまで茂っている所もありますが、道の上に左右から伸びているだけなので、問題はありません。足元が見えないので、躓かないように気をつけるだけです。足元の地面が柔らかくなると、道を間違えている可能性があります。

さらに登るにつれて見晴らしも良くなり、パノラマ写真を撮りまくりました。268mピークも松とシダで覆われています。この先が少し問題で、シダの背が高いので道を見失って、間違った尾根に降りそうになりました。しかし道を確かめながら降りれば、問題ないはずです。

このコース最大のハイライトは、268mピークの先の吊尾根です。写真は少し手前から撮ったもので、南側の岩盤です。吊尾根といっても歩いていると尖った尾根の上ということはあまり感じないのですが、両側が垂直に近く落ちている場所があり、迫力がありました。特に南側は絶壁です。ここは地形図でも南北両側に崖が描かれています。しかし尾根の上は幅が広く、滑落する危険はありません。陽当たりが良く、風がなければ休憩にもってこいの場所です。その先は急勾配になりますが、岩場が多いので登るのは楽でした。そして、「石上神社林」の標識のある所で主尾根に出ました。

ここからは前回降りた道を登るだけでした。山火事の跡が痛々しく残っています。登るにつれてシダも増えてきます。シダ藪をかき分けて、金城山山頂に出ました。下山は南の峠に降りる尾根にしました。これも2012/3/26に南側の尾根を歩いた時に美しく見えていた尾根です。こちらにも道がありますが、シダが茂っている点、岩場が多くて展望が良い点では、登ってきた道とあまり違いません。唯一の違いは、こちらの道にはマーキングがあることでした。時々ハイキングコースの標識がありますが、ほとんど読めません。南側正面に尾根が美しくそびえています。山火事で裸になったと思われる西側の尾根もよく見えます。

最後は道がよくわからなくなったので、林の中を降りると、道がありました。地形図の破線道と思われます。この道は以前はしっかりしたものだったと思いますが、今は荒れています。降りてきた地点は、峠よりはかなり西寄り(金城池寄り)でした。金城池の方へ歩いて行くとすぐに炭焼き窯が二つありました。その先は沢を渡るしかなかったのですが、何のマーキングも無いのでこれが本当に正解だったかどうか分かりません。その後も良い道があると思えば消えてしまいます。沢を歩くしかない所もありました。ちょっと広いところに出てきたと思ったら、コンクリートの堰堤がありました。この先も道は現れては消えます。川を何回か渡ると、次には石積みの堰堤がありました。積み方は荒っぽいですが、立派なものです。この先も道があったりなかったり、流れを何度も渡り、前回にも通ったゴルフ場の駐車場に出てきました。

この吊尾根経由の登山道は、あまり知られていないようですが、歩きやすい道でした。特に危険な場所もなく、展望は最高ですので、ぜひお勧めしたいと思います。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆
地形図は「西脇」「比延」です。