2012年7月28日土曜日

阿舎利山から三久安山へ縦走


以前から阿舎利山から三久安山まで縦走できないものかと考えていたのですが、そんなヤマレコを見つけて([1][2])、歩いてみることにしました。登山口は音水ちくさ自然公園の奥の三久安林道の終点です。ヤマレコでは最初に三久安山に登っていますが、まず阿舎利山を目指しました。三久安林道は舗装されており、落石も片付けてあって、手入れをされている方がおられるようです。しかし、舗装が終わる「三久安山登山口」の標識の先は、荒れまくっています。いきなり橋が消滅しかかっていますし、その先も林道が川になって歩けないところがありました。林道の終点は地形図では800mの標高線を少し登っていますが、ここは藪の尾根で道は消えかかっていました。尾根に乗って藪をかき分けて登って行くと、植林になって登りやすくなりました。急斜面ではありますが、木に掴まらなくても登れる程度です。ピンクのマーキングもあります。地形図で見ると890m+付近に少し平らなところがありますが、ここは気持ちの良い林です。ここで休んでからさらに急斜面を登ると、尾根に出ました。この尾根をさらに登ると、阿舎利山から北東に延びる主尾根になります。広い尾根を気持ち良く登って、阿舎利山山頂に着きました。引原山三等三角点(1087.20m)があります。林道終点から1時間、阿舎利山登山ルートとしては最短ではないでしょうか。

さて縦走に出発です。登ってきた北東の尾根を降りて、さらに東へ尾根を歩きました。付近は植林で(南側だけですが)、道もあるので良い感じです。2010/11/23に東の蓮花三角点からこちらに歩いてきましたが、そちらの尾根には行かないように注意して、北に尾根を降りました。降りた付近は植林で意外と歩き易く、この後も尾根の西側はずっと植林なので、そちら側に道を探して歩きました。尾根には金網があり、東側は伐採されていて太陽が照りつけます。900m+のピークの東側は伐採地で、2010/12/01にこの伐採地を見に来ましたが、その時にあった立派なネットは地面に落ちていました。アルミのポールが真ん中でへし折られていました。ポールにこれだけの力を掛けたのが何だったか、興味があります。しかし伐採地を歩くと暑いので、すぐにまた尾根の西側の植林に入りました。ここから北の登りでは植林の中に良い道がありました。この道は一度尾根に出て、また西斜面に延びていたので、ここからまた尾根を歩きました。この付近は既に伐採地ではないので、暑い思いをせずにすみました。いったん少し下って、次の登りは尾根が藪っぽいため、また西側の植林を歩きました。最後は西への音水湖への下山ルートに出て、そこからピークに登ると、生い茂った草の中に金属製の三久安東四等三角点(932.28m)がありました。

ここからは登山ルートですが、まだまだ藪が続きました。1019mピーク付近の大きな岩を過ぎると、やっと道らしくなってきました。「ハシゴにて林道」のピークを過ぎるとかなり道らしくなります。アップダウンのある長い尾根歩きです。音水湖への登山ルートを過ぎて、美しい大木の林(写真)を抜けると三久安山山頂でした。小原三等三角点(1123.15m)があります。阿舎利山から2時間半程度でした。

下りは音水湖へのルートを使いました。1100m+ピークまで戻り、西に尾根を下りました。さすがに登山ルートだけあってマーキングが多く、迷うことはありません。ちょっとアップダウンがあった後、美しい植林に入ると楽に歩けました。新道四等三角点(981.58m)は植林の中です。この辺では雷の音がしていたので、下山を急ぎました。共同アンテナを過ぎて、植林の終わりから斜面を下りますが、伐採地と植林の境界を降りて行きました。それから地形図の破線道に合流して伐採地の中を歩きました。草が生い茂っており、太陽にも炙られましたが、距離はたいしたことはなく、下りなので楽でした。出発から4時間半ほどで、林道の終点に戻ってきました。「切り株の近くまむしの巣注意]という注意書きがありました。

問題無く歩けましたが、途中から体温が上がってやや脱水気味になり、真夏にこのルートは長すぎだと思いました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「音水湖」です。

2012年7月22日日曜日

亀ヶ壺の西の奧関山三角点


姫路から比較的近い山に登ろうと思って、亀ヶ壺の西側の山にある奧関山に向かいました。えらい目に遭いました。

姫路から夢前川を北上し、河原川へ右折し、悪路を東に走りました。道は穴ぼこだらけで水が溜まっています。我慢して走っていると、別荘地帯に出ました。この先は土砂崩れがあり、立ち往生している車がいました。この日の河原川は前の晩に雨が降ったのか、水量が異常に多く、迫力がありました。その河原川沿いに歩いて行くと、橋があって手前に百葉箱のような白い箱がありました。この先は道の反対側に滝がいくつかあり、大量の水が山から流れ込んでいました。さらに歩くと地形図で破線道が分岐している点に着きました。ここには壊れた小屋があり、「亀ガ壺のの滝へ(約50分)」という道標があります。この先亀ヶ壺までは川の中を歩かねばならないのですが、水量が多く普通の登山靴では歩けません。予定ではもう少し東に行ってから登り始める予定だったのですが、諦めてこの分岐点に延びた尾根から登ることにしました。

藪を抜けると意外と簡単に尾根に取り付けました。しかし、少しシダ藪を抜けると尾根の中央に大きな岩があり、右も左も崖になっており、進めなくなりました。ロッククライミングの心得はないので、素直に引き返して、意外としっかりした破線道を北に歩きました。すぐに堰堤があり、ここも大量の水が滝になって落ちていましたが、この付近の尾根は植林で取り付けそうだったので、急傾斜の斜面にかすかに残っていた作業道を斜めに登って、植林に入りました。なお、堰堤の先に延びた破線道は怪しげでした。登り始めた植林は木は少なく、代わりに灌木とシダが生い茂っていました。しかも勾配はきつく、草木をかき分けて登るのは非常に疲れました。我慢して少し登るとシダは薄くなり、岩が多くなってきました。そして、ついにまた巨大な岩が聳えていました。左の方に登って行ったらその先はさらに切り立っており、また引き返そうかと思ったのですが、戻って岩の右側に行くとうまく岩の上に出られました。このような場面はこの後も何回かあり、岩にへばりついて登ったこともありました。岩の上では多少の展望もあるのですが、そんなものは目に入りません。506mピークまで1時間半近くかかりました。まだ全行程の数%です。周囲の谷は降りても倒木や増水で歩けないことは明らかで、この先は行程を全部終わるまでは後戻りはできません(降りた例はあります([1])が)。えらいことになったと思いました。藪っぽい尾根を北に辿り、奥関山四等三角点(614.96m)に着いたのは登り始めて2時間後でした。歩き始めて3時間以上です。

この後はひたすら周遊コースを歩きました。明確な切り開きのある所もありますが、踏み跡程度しかなく、倒木のある場所もありました。696mピーク付近も藪でした。この先でようやく姫路市と神河町の境界に出ましたが、何の切り開きも標識もなく、藪の中をGPSを頼りに北西に降りました。この先の境界の尾根は藪が多く、岩場もありました。歩くのにとても骨の折れるコースです。そして今や跡形もない破線道を横切ると、その先は倒木地帯です。この付近は以前に歩いていたので(2009/03/21)、ある程度予想してはいましたが、記憶と現実は大違いでした。疲労困憊して坂を上り、678mピークに出ました。ここからは長い下山となります。歩き始めて6時間近くが経過していました。

山の内三等三角点(649.87m)まではピンクのマーキングもありましたが、枝を避けながら歩いたと思います。時間があればここから禿の行者山の断崖を見に行くのですが、そんな余裕はありません。三角点から南は以前に歩いたことがあり(2008/09/27)、まず禿の行者山の断崖を望む岩場に出ました。前回同様に東側を大きく巻いて苦労して先に進みました。ここからは長い尾根のアップダウンが続きました。暑さもあって疲労困憊していたため、一山ごとにゆっくり休みました。まるで苦行僧になったような、まさに行者山を歩く気分でした。明快な道も少しもありますが、踏み跡程度がほとんどです。605m、551mとピークを過ぎ、ようやく石ケ谷四等三角点(578.54m)に着きました。

この先は590mピークまで尾根を歩いて、そこから南の尾根に乗りました。これも以前に歩いたコースですが、次の570m+ピークまでの間は倒木地帯で、しかもジャケツイバラが多く、暑さのために長袖シャツを脱いでいたため、腕が傷だらけになりました。この南に伐採地があることは分かっていたので、早く伐採地が見えないかと焦りながら急勾配の尾根を下っていくと、ついに左側(東側)に道が見えました。そこまで一直線に降りましたが、実は近くに見える道は標高差で100mほど下にあり、途中にはジャケツイバラも生えており、痛い目に遭いました。前に来た時(2009/10/18)に比べると、伐採地には草が大量に茂っていました。伐採地は迷わずに降りられましたが、最後は道が川と化しているため、川の中を歩くか藪を抜けるかの選択になりました。川の中も岩が滑って危なかったのですが、藪はもうこりごりだったので、靴をぬらしながら川の浅いところを辿って道まで降りました。

歩き始めてから車に戻ってくるまで、9時間かかりました。最初の登りに時間が掛かったのも藪が多いのも行程が長かったのも確かですが、最大の問題は暑さでした。最高地点でも標高700mしかなく、気温が高いため消耗しました。この付近の山にはあまり良い思い出はありません。なお、数匹のヘビに出会いました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「寺前」です。

2012年7月21日土曜日

鹿伏から登る赤谷山


宍粟50名山に指定されている赤谷山ですが、兵庫県と鳥取県の県境にあり、アクセスはあまり良くない山です。戸倉峠から往復するのが一般的のようですが、東の29号線から登ってみました。

宍粟市波賀町鹿伏の北の集落、「くるみの里」への入口の向かい側の道に入りました。すぐに「入山禁止」の立て札の立っている金網の戸があります。山菜を盗みに来たわけではないので、戸を開けて林道に入りました。未舗装の林道がヘアピンしている所から植林を登り始めました。林道を更に歩いて谷の北側の尾根を登るのも魅力的([1])でしたが、植林の中を鹿が3頭走っていたので、ここを登る気になりました。ちょっと登ると尾根の端に出たので、あとは尾根を力ずくで登りました。706m地点で一息つくまでは、きつい登りでした。その後も急勾配が続きます。標高900m付近に共同アンテナの残骸があり、この先はだいぶ楽になりました。

この付近の尾根は自然林で下草も少なく、気持ち良く歩けました(写真)。さらに登ってピークに近づくと笹が増えてきました。この地域の大敵チシマザサです。笹をかき分けてピークに登ると、宮中山三等三角点(995.65m)がありました。付近は伐採してあり、南に展望が開けています。ここからは低い笹の生えた尾根を縦走しました。笹はさほど邪魔ではなく、1044m地点を過ぎ、1100m+ピークでは気をつけて西に曲がりました。この先には私の持っている地形図にはない金属プレートの清木四等三角点(1140.15m)がありました。この周囲も伐採されています。この先は笹の背丈が高くなってきました。朝の雨で濡れているので、長袖を着込みました。この先の1160m+ピークには大きな水溜まりが二つありました。1162mピーク付近から先も笹藪ですが、ずっと切り開きがあります。そして県境に出ますが、県境と合流したのに気付かなかったため、県境が直角に曲がっている点で迷いました。ここを左折して、笹の刈られた県境を北に歩いて赤谷山に着きました。落折二等三角点(1216.44m)があります。木が刈られて展望は良いはずですが、霧でイマイチでした。約2時間半の登りでした。

下山は素直に戸倉スキー場に向かいました。県境をちょっと南に歩いてから東にほぼ一直線に尾根を下りました。これはとても歩き易い尾根で、自然林も快適でした。1時間もかからず戸倉スキー場の最上部に出ました。ここには建設省の戸倉基地局があります。アンテナが立っていますが、何のためのものでしょう?ここからはスキー場の中を降りるのが普通だと思いますが、それだと出発点から遠くなるのと、雪のないスキー場ではだいぶ苦労したことがあるので、南の尾根で兵坂トンネルの南に出ようと考えました。スキー場の南の谷は大伐採地で、その南側の尾根を歩きました。この付近は植林で、歩き易い尾根でした。トンネルの上を歩いてさらに東に行くと、原横行線34鉄塔がありました。この送電線の鉄塔には巡視路がないことが多いのですが、鉄塔から北に降りる道がありました。伐採で荒れた植林の谷を降りると、旧国道に出てきました。尾根の先をぐるっと歩いてトンネルの南に出られました。

登りも下りもほぼ満点の出来でした。天候が良ければ展望も楽しめたことでしょう。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「戸倉峠」です。

2012年7月8日日曜日

安富町皆河から登る母栖山


母栖山は山崎町の母栖から登るのがもちろん一般的ですが、林田川からもそんなに遠くありません。地形図を見ると安富ダムの少し下から富栖湖の西側の山に登って570mピーク経由という道がまず目に付きます。しかし最初の200mは勾配がきつそうですし、道路がカーブしている谷の北斜面は急斜面の伐採地です。ということで、皆河(みなご)集落から登ることにしました。距離は長くなりますが、尾根歩きを楽しめそうです。

皆河の北に尾根があります。この南端から登りました。果樹園を抜けて森に入ろうとすると「立入り禁止 あぶないからはいらないでください。安富町」という看板が立っています。「何があっても安富町の責任ではありません」という誓いを立てて、竹薮に入りました。しっかりした獣避けの金網に行く手を阻まれましたが、二つの尾根の谷に入口がありました。この後はどっちの尾根に登っても同じだと思いますが、東側の尾根に登り、272mピークまで歩きました。272mピークには長さの切り揃えられた木材が積んでありました。

しばらく平坦な尾根を歩くと、登りになりました。意外と岩の多い尾根でした。だいたいは踏み跡があり、藪はきつくないので、休みながら登れば問題はありません。時々平坦になりますが、標高差で200m近い登りなので、長く続きます。450m+まで登ると平坦になり、測量用の紅白の棒が2本立っていました。周辺は伐採してありますが、伐採地の外の木の背が高いので、展望はありません。平坦な尾根をしばらく歩くとまた急勾配になり、550mを越えるとまた平坦な尾根になりました。

宍粟市山崎町と姫路市安富町の境界に出ると、伐採してあり測量用の紅白の棒が立っていましたが、ここも展望はありません。境界を北に歩くと鞍部に出ました。東側の谷からは激しい水音が聞こえており、細い急流が流れていました。前日までは大雨だったので、そのせいでしょう。鞍部からは急斜面を登り、東西に延びる尾根に出ました。いきなり関電の立入り禁止標識が立っていました。この尾根を東に進んで美しい宍粟杉の林を抜けると、宍粟50名山母栖山山頂に出ました。母栖三等三角点(654.02m)がありました。

母栖山には「金鉱跡」という道標があり、「往復30分 一見の価値十分あり」と書いてあったので、行ってみました。東に急勾配の斜面を降りて、植林を歩いて岩場に出ると、北正面に富栖鉱山の跡が見えます(写真)。ロープが張ってありますが、危険な岩場です。

母栖山山頂まで引き返してから、北に降りました。ここも関電の立入禁止が立っていますが、柵があるわけではありません。北斜面には道がなく、植林ですが低木が茂っているため、かき分けつつ適当に降りていくと、広い尾根に出ました。

この付近は鉱山の関係からか市境が折れ曲がっていますが、再び市境に従って尾根を北に歩きました。大体は暗い植林ですが、700mを越えて急斜面を登って行くと播磨中央線2鉄塔がありました。鉄塔はネットに囲まれており、その中は伐採されているのですが、伐採した時に出た木材をネットの外に捨ててあるので、尾根を辿るのはとても困難で、結局ネットの中に入りました。関電の山崎実験センターがよく見え、展望の良い場所です。ここから更に藪を登って行くと、740m+の尾根に出ました。

この尾根も市境ですが藪っぽく、たまに道がある程度です。特に734mピークは伐採した後にシダやアセビが生い茂り、歩けたものではありません。東側を巻いてから無理して頂上に出ると、金属プレートの三角点がありました。古い地形図には描いてありませんが、安黒四等三角点(729.41m)です。この後は間違ってピークから西の方に降りてしまい、ひどい藪に入ってしまいました。ピークに戻って市境を辿りましたが、やはり藪でした。植林に入るとだいぶ楽になり、道も現れたと思ったらネットがあり入口がありました。中に入って100mほども歩くとまたネットがあり、出口となりました。ここは頭上で高圧線が尾根を横断している地点で、その配慮と思われます。ネット内は鹿が入れないせいか、なんとなく植生も違う感じでした。この後は関電の巡視路ですので、黒いプラ階段もたくさんあり、歩き易くなりました。木々の間から西に揖保川も見えました。

東に送電線の鉄塔があり、それを過ぎて標高650mに達する手前に次の鉄塔への巡視路を見つけました。この巡視路に入ると、しばらく尾根と平行に進み、鉄塔のある枝尾根まで来ると降り始めました。播磨北線7鉄塔は、枝尾根の下の方に立っています。期待どうり次の鉄塔への巡視路はここから枝尾根を伝って谷に降りており、植林の中を降りて行くと、舗装された林道大河(おおご)線に出ました。ここからは大河川の雨後の急流を眺めながら皆河まで戻りました。2時間近くかかってしまい、足が棒になりましたが、途中は山から溢れた水で林道が川になっていたり、富栖鉱山の前にある富栖の里を通ったり、飽きることはありませんでした。この谷は皆河大河弁獄と言うのだそうです。歩いている途中に富栖湖の西側斜面に階段があるのを見つけました。ここから570m地点経由で登るルートもありそうです。

コースとしては、母栖山から570mピークを経由して富栖湖へ降りる方が普通でしょう。全行程6時間近くかかりましたが、見所はたくさんありました。ところで、皆河三角点は、雪彦山の北にあります。一方、播磨北線7鉄塔のある場所は安富町関字カニワだそうです。名前と場所が交錯していて、なんだかややこしいですね。

展望 ★★☆
藪山度 ★★★
地形図は「山崎」です。