2012年12月29日土曜日

奧須加院から登る棚原山


この前(2012/12/24)に置塩城趾に登った時に、東側の谷を歩いたことがないのに気が付きました。そこで、その谷から棚原山に登ってみることにしました。

田川神社に車をとめて、北に歩きました。谷間に畑が広がりますが、この付近は川幅が広いので、下手に西側の山から降りてくると川が渡れず困るかも知れません。東の山にある毘沙門への登り口を過ぎ、オカルト的興味の的である相坂トンネルへの分岐を北に曲がり、谷山に着きました。地形図にある記念碑は明治32年の植林記念です。さらに北に歩くと舗装が切れたあたりで犬が激しく吠えながら走り回っていました。この先には西の堰堤への分岐がありますが、そこも真っ直ぐに北に歩くと、堰堤がありハンターさんに会いました。さっきの犬が猪や鹿を追い込んできたのを撃つようです。危なそうなので鈴を鳴らしながら歩くことにしました。さらに北に歩くと道は終わりますが、その先には踏み跡がありました。何も考えずにピンクのマーキングに従って谷沿いの踏み跡を辿ると、足もとはガレ石が多くなって歩きにくくなります。勾配もどんどん急になり、尾根の手前では木に掴まって登るのがやっとでした。出てきた地点は谷の真北ではなく、386mピークでした。

386mピークから棚原山まで往復しました。棚原山は枯れススキで覆われています。八葉寺への道標と「棚原明神鎮座跡」という標石があります。市川方面の展望が広がります。意外と海が見えたりもします(写真)。ここからは南に縦走です。落ち葉を踏みながら木の間を歩けるので極楽ですが、実はここから下山するまでに4ヶ所も間違った尾根に進みました。南条山の南北に切堀かと思うほど深い鞍部がありますが、人工的なものかどうか見分ける方法はありません。石積みも時々ありますが、迷い込んだ町村の方に降りる尾根にたくさんあったので、城とは関係なさそうです。南条山から南の尾根は前に歩いたのですが、逆方向に歩くと印象も違います。

下山は南条山の南の380m+ピーク(広くて間違って西の方に降りかけました)から東に延びる尾根で330m+ピークを経由し、南に延びる長い尾根を降りました。この尾根はマーキングが一切無く、見通しの効かない藪っぽい尾根なので、方位の確認には苦労しました。330m+ピークでもその南の280m+ピークでも、行くべき尾根を探し出すのに歩き回りました。気持ちの良い林もあればシダ藪もありますが、木の枝がうっとうしい以外は普通の里山歩きです。踏み跡はほとんどなく、268mピークから南は尾根が曲がっているので、尾根をしっかりと辿る必要があります。最後は奧須加院の墓地の裏に出てきました。ネットはありません。

低山ですが長い道のりで5時間近くかかりました。展望はイマイチですが、姫路の近くの山としては、こんなに歩き易い山は少ないのではないでしょうか。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「前之庄」「姫路北部」です。


2012年12月24日月曜日

南条山から置塩城趾


地形図を見ていて、置塩城を東から攻めたらどうなるだろうと思いました。そこで東の南条山から攻略しようと思い立ちました。しかし、車を取りに帰ってくる必要があるので、出発点は東ではなく西になります。車を置塩城趾の下の櫃倉神社にとめて、南に歩きました。

しばらく行くとお寺があり、山裾に墓地があります。それとは離れて北側に3基だけ墓石のある小さな墓地があり、その裏山が登れそうだったので行ってみました。この地域では山裾に害獣避けネットがないので、山に入るのは簡単です。墓地の脇から急な作業道を登ると、北側の谷に出ました。登りやすそうな植林に入って作業道を適当に登ると、尾根に出ました。姫路付近の里山としては典型的な尾根で、伐採された木や倒木が邪魔なほかは、楽に歩けました。踏み跡があり、シダも所々しか生えていません。枯れた灌木の枝を折りながら落ち葉の上を登りました。238mピークを過ぎても様子は変わりません。たまに植林らしい場所があっても、木がとても細くて発育不全の感じです。

尾根を真っ直ぐに登ると、290m+で左右に尾根が分かれます。これが主尾根です。少し南に行って350m+のピークに行ってみましたが、木が邪魔であまり良い展望は得られません。ここは棚原山から暮坂峠に通じる長い尾根で、かつては夢前町と香寺町の町界でした。置塩城趾を目指して北に歩くと、353mピークの手前付近で南に良い展望が得られました(写真)。この付近の尾根には岩が多く、東の市川沿いから北条方面や、西の山々も見えました。353mピークの北側の道はしっかりと整備されています。その先で390m+ピークに登る付近には少しですが石積みがありました。

390m+ピークと400m+ピークを越すと、ようやく南条山となります。しばらく植林の平地を西に歩くと、谷山二等三角点(439.81m)がありました。ここから西は、割と良い道があります。共同アンテナの残骸を過ぎると、地形図で見ると置塩城趾方面は急斜面を降りなければなりません。このルートは伐採してあるのでなんとなく分かりました。マーキングもありますが、それでも余りに急斜面で地面も荒れているので、これがルートとは思えませんでした。鞍部には少しましな道がありますが、置塩城趾までの登りも道があるわけではなく、斜面を適当に登りました。最後は本丸へ急斜面(人工の斜面かも知れませんが)を登りました。本丸からは北方面がよく見えます。

置塩城趾からの下山は、登山道を降りるのはつまらないので大手門から降りてみました。大手門へ行く道は案内板の地図の前から延びていますが、これもかなり荒れています。西曲輪群は一見すると段々畑のようです。道は曲輪群の南端に付けられていますが、ひどく急な道で、曲輪の中を降りた方が楽そうでした。そして大手門跡に着きましたが、どこに門があったのか分かりません。山の上にあった案内図では、大手門跡から東に水平に道があって、大手道に降りることになっています(消されていますが)。大手門跡の下に東に向かう道はあるのですが、すぐにシダ藪に突っ込んでしまいます。どう進んでも背丈以上のシダが密集して生えています。地面を歩ければ古い道でもだいたい分かるのですが、シダの上からしか歩けないとどこが道なのか全く分かりません。結局しばらく探索してから諦めて、大手門跡から真っ直ぐに尾根を降りることにしました。ピンクテープのマーキングがところどころにあって、何となく道が付けられているような気もしましたが、簡単には歩けません。木に掴まってなんとか降りて行きましたが、尾根から外れるとシダやササの藪がひどくて身動きが取れなくなります。尾根の下部では植林を抜け、最後は少し笹藪を突破すると、道路に出られました。出てきた場所は「史跡置塩城跡」という看板のすぐ北側でした。

3時間半の里山歩きでした。さすがに山城だけあって周囲の斜面は簡単に上り下りできるものではないことがよく分かりました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆ 最後の下山は完全な蛇足
地形図は「前之庄」です。

2012年12月16日日曜日

餅耕地から須留ヶ峰


須留ヶ峰は谷沿いのルートにはヒルが多いという話で、秋に登ろうと思いつつ機会を逃してきました。12月になったので雪が多くて無理だろうと思ったのですが、調べてみると旅行社が12月21日に登山ツアーを企画しており、しかも「無雪期の標準装備」で登れると書いてあるので、まだ雪は少ないのだと判断して登ってみました。

登り口は普通に餅耕地の林道終点にしました。車を置いて良く整備された登山道を登りました。しかし前日が雨だったので谷川は水量が多く、岩は濡れて滑りやすく、木の幹を並べて作られた橋も滑りがちでした。残雪は多くはありませんが、落ち葉の上の残雪は意外と滑ります。木の橋を渡らずに水量の多い川を渡ったり、けっこう苦労しましたが、マーキングはしっかりしていて迷うこともなく、気持ち良く登って林道に出ました。このコースは、登山道が整備されていなかったら登る気にはならないコースでした。林道から先も登山コースなので、迷うことなく登れました。この付近は落葉樹が多く、冬は見通しの良い林になっています。そして養父市と朝来市の市境の尾根に出ました。ここも落葉した林ですが、ところどころアシビが生えています。西に須留ヶ峰が見えていました。気持ちの良い尾根を歩いて、大杉山(1048m)に着きました。北から東に展望が広がり、地図があって山々を確認できます。とは言ってもこの日は見通しが悪く、遠くの山は霞んでいました。なお、ここまでの登山標識はこのピークを須留ヶ峰と定義しているような感じがします。

大杉山から須留ヶ峰まではピストンしました。ここも気持ちの良い落葉樹の尾根ですが、北風を妨げるものが無いので汗が冷えました。須留ヶ峰山頂はあまり展望もなく、大屋山遊会の立てた面白い木のモニュメント以外には、須留ケ峰二等三角点(1053.48m)しかありません。三角点の周囲の雪が早く溶けるのはなぜでしょうか(写真)?

登ってきた滑りやすい道をそのまま降りる気はしなかったので、下山は別のルートを考えました。まず大杉山から宮本コース(倉谷登山口)で東に降りました。こちら側の斜面は意外と雪が多く、無雪期の装備ですから、靴に雪が入って困りました。雪の上には小動物の足跡がありましたが、生き物の気配のしない山でした。宮本方面に降りないように気を付けていたのですが、じっさいそちらへの標識は見かけず、ネット沿いに急斜面を降りました。急斜面と言っても雪がなければ問題はありません。少し降りると雪も無くなって、濡れた落ち葉の上を歩けるようになりました。地形図ではこのあたりで尾根の南東側に林道が現れることになっていますが、最初に現れた林道は北側だったのでびっくりしました。この北側の林道は尾根を横切ってUターンして、南東側の林道に繋がっていました。宮本に降りる林道に接続しているかどうかは、確認してありません。

この後は長い林道歩きとなりました。餅耕地まで歩くには問題ありませんが、途中に土石流で道が完全に遮断されている所がありました。ここより上にライトバン(ナンバープレート付き)が放置されていました。さらに下には道が数10センチの大きさの石で埋まっている所がありました。土砂は無く石だけなので人工的に見えましたが、これも山が崩れたとしか思えません。この林道歩きは、深い谷や滝もあって楽しめましたが、正直長くて飽きました。さらに餅耕地に降りてから車まで林道を登らねばならず、疲れました。なお、山神社の鳥居の所には「日釜岩群の下までは車(四駆)で30分でいけます」と書いてありますが、以上のような事情で行けません。それに、途中に「一般車両の通行を禁止します」という看板が立っていました。

登りは2時間、下りも鳥居までは2時間でした。ずいぶんたくさん歩いたような気がするのは、林道が退屈だったからかも知れません。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大屋市場」です。

2012年12月1日土曜日

屋形の飯盛山


これは、国道312号線の屋形南交差点の南東の山です。市川に張り出した孤立した山で、播但道は飯盛山の東側を通っています。頂上の216mピークには地形図では城跡のマークが付いていますが、これが飯盛山城(屋形城)です([1])。この山を一周する道があり、地形図では南側から山に登る道が描いてあります。ここへ行くと道の脇に「飯盛山登山口」という道標があり、登って行くと道の終点には配水所らしき建物があります。そこから登山道を上るとすぐに山頂でした。低山ですが市川の上流から下流まで見渡せるロケーションは素晴らしく、向かいに谷城趾や鶴居城趾も見えて、ここに城を築かない手はないと思いますが、岩はあっても石垣などがあるわけではありません。写真は北方面です。

下山は東に少し降りた鞍部から北に道があったのでそちらに降りると、お稲荷さんがありました。紅葉が綺麗です。さらにジグザグに降りると道が東西に分かれており、西に水平に歩くと屋形知行所跡に出てきました。池田氏懐徳碑が立っており、妙見ふれあい公園だそうです。あとは312号線を歩いて車に戻りました。

どうにも歩き足りないので、飯盛山から見えた南側の山も歩くことにしました。西側からのアプローチは播但道が邪魔なので、播但道をくぐる所まで南に下り、播但道の東側の道を上がるとゲートボール場がありました。周囲は金網で囲われており、とりあえず一番奥まで行って扉を開けて谷に出ました。椎茸の栽培所があり、その先には道が続いていましたが、谷の奧で終わっていました。道がないので、西側の急斜面を登りました。酷い藪ではなかったのですが、尾根に出ると道があってがっくりきました。この道がどこから来ているかを確認するために、一度山を下りましたが、この道はゲートボール場奧の左側の扉に繋がっていました。途中にNHKの共同アンテナがあって、その保守用の道になっています。また登りなおして、浅野三等三角点(284.32m)に到達しました。

この先には道はありませんが、ここも藪はきつくありません。いかにも里山というか、ごく普通の藪山です。シダもあまり生えていません。278mピークのあたりは、山頂付近に段があって人の手が加わっているかも知れません。その先の、320m+ピーク手前の鞍部に降りると切通しになっており、2体の首のない石仏の脇の杭に「慈悲地蔵菩提 伝承標」「有為の身を地蔵看そなわす大原坂」と書いてありました。石仏(嘉永と大正)には「先祖代々」と書いてあります。地形図では破線道がこの北を通っていますが、以前(2010/04/24)にこの付近を歩いた時にはこの破線道を確認できなかったので、この鞍部から東に降りることにしました。しっかりとした道で、気持ち良く下山できました。

低山なので藪を覚悟していたのですが、意外と楽に歩けました。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「粟賀町」です。