2013年3月30日土曜日

山口から登る朝来の行者岳


生野の北に行者岳と呼ばれる山があります。地形図には標高すら書かれていませんが、岩屋観音から登るコースが一般的です([1])。多々良木ダムからも登れます([2])地形図を見ていて、これを播但線沿いの山口から登れないかと思い立って、行ってみました。山口からは谷沿いに道が東に延びており、行者岳の近くまで行っています。航空写真でも道が見えます。ところが行ってみると、山口から舗装道路を入ってすぐに「無断入山禁止」の看板があって門が閉まっていました。しっかりと鍵が掛けられており、害獣避けも兼ねているため徒歩でも通れません。この道に入るには山口奧の谷共有山林組合理事長から入山許可証を得る必要があり、持っていないと不法侵入者として罰せられるそうです。

というわけで、谷には入らずに南の尾根に登ることにしました。ここはかなり荒れた墓地で、寛政年間の墓もあります。その上には害獣避けの金網がありますが、墓参り用に開けられるところがあり、そこから尾根に向かって急登しました。ひとしきり登ると、生野北支線33鉄塔があります。1回路だけの小振りなもので、鉄塔の下の部分はネットで覆ってあります。鉄塔の巡視路ははっきりしません。展望はグーです。更に登ると尾根上に岩場があり、岩の間の狭い急斜面を登らねばなりません。ここの北側は地形図にはありませんが断崖です。やっとのことで岩場を登ると、なんとお堂がありました(写真)。四角形の単純なものですが、新しいものです。シャッターが閉まっていて中は分からなかったのですが、付近は北も南も急斜面で、登ってくる道はありません。どうやって建てたのか、どういう目的のものか、全く分かりません。お堂の前からの北側の展望は抜群ですが、足元は崖です。

岩場の裏手も岩が多いのですが、その先は雑木林となります。469m地点には、岩津四等三角点(469.75m)の新しい標石がありましたが、埋め込まれていたと思われるICチップはなくなっています。周囲は伐採されて展望もあります。アシビが多いのは鹿の食害でしょう。この先は意外とアップダウンがありますが、木の間隔が広く下草もないので、ハイキング気分となります。真っ直ぐ進まず南東に尾根を降りて、しばらく歩くとだんだん藪っぽくなります。506mの手前付近は歩きにくい藪です。薄い踏み跡がありますが、枝やイバラが邪魔でなかなか進めません。506mピークで南に折れてからも、しばらくは歩きにくく、疲れました。西側の展望は時々ありますが、吊り尾根を半分ほど歩いて植林に入るまで、藪が続きました。この後は急登もありますが、植林なのでひどく歩きにくい場所は無く、600m+の主尾根に出ました。ここには地籍図根三角点があります。

主尾根と言っても細い尾根で、岩屋観音の北付近では岩だらけです。岩屋観音の上に聳える岩盤がよく見えました。そのうちに広い尾根になり、さらに幅広い尾根に出ました。ここは岩屋観音から行者岳への登山コースです。気持ち良く北に歩くと、行者岳(786m)に出ました。展望は良好で、多々良木ダムがよく見え、関西電力の行者岳8Mx8M反射板が立っています。真新しい金属プレートの三角点も見つけましたが、国土地理院の基準点成果閲覧サービスには登録されていません。ここからは北に地形図の破線道どうり下りです。はっきりした道が続きます。626mピーク付近では危うく西行きの尾根を降りそうになりました。谷に降りると道路から出られない恐れがあるので、とことん尾根を歩きました。道はたまに怪しくなりますが、途中からは明らかに造林用の道で、ピークの北側を巻いて進むようになります。しかし560m+ピークは登る必要があるので、道から外れてネットに沿って登りました。

この後はまた道のない尾根歩きとなります。シバ藪と歩き易い林が交互に現れますが、490m+ピークから先は藪です。ネットがあるのでそれに沿って西へ歩きましたが、踏み跡は薄く、疲れました。その先は急斜面となりますが木の間隔が広くなってきます。そして生野北支線32鉄塔に出ました。南にも巡視路がありそうでしたが、谷に降りたくないので北側の巡視路へ向かいました。すぐに植林に出たので、その中を降りて行きました。下の方には享保年間の墓がありました。害獣避けの金網にぶち当たりましたが、壊れている場所があったので外に出られました。後で見ると、鉄塔から真っ直ぐに尾根を降りると急斜面から寺の墓地の上に出ますが、ここにも金網があります。

谷の奧には立派な道路がありそうなので、入れればこんな大回りはしなくてすみます。大回りと言っても、6時間弱です。なお行者岳には多々良木ダムからも登れるようです。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「但馬新井」です。

1 件のコメント:

藪山探検隊 さんのコメント...

このお堂は妙見堂で、幕末時に生野で挙兵した侍が最後に自刃した場所だと教えていただきました。きっとどこかに登山道があるのでしょう。
また、岩津三角点のある469mピークは岩州山という名前で、山口城または岩州城という山城があった所のようです。歴史のある山なんですね。