2014年1月18日土曜日

上郡岩木川上流の滝の上三角点

タイトルはあまり正確な表現ではありませんが、上郡から岡山県の県境に近い山を歩きました。岩木川を遡って、大鳥圭介の生誕地である石戸に車を停めて、西に皆坂川を遡って歩きました。広い道ですがすぐに扉があります。それを過ぎると鉱山の遺物が残っています。大きな社宅の残骸をはじめとして、崩壊した家、まだ建っている家もあります。ここは近畿自然歩道で、皆坂の滝への分岐がありますが、まっすぐ歩きました。滝へのルートを解説した説明板が立っているのですが、よく地理が読み取れません。真っ直ぐ歩いて行くと、山の中腹に神社らしきものが見えたので、その付近で道から外れて登って行きました。放棄された段々畑を通ると、谷には橋がかかっており、ここも登山ルートだと分かりました。結局この神社は瀧神社で、その裏にある滝は小皆坂の滝となっていましたが、これが道標にある皆坂の滝と同じものなのか、いまだに判然としません。いずれにしても冬なので水がなく、滝は見られませんでした。灯籠は明治37年のもので、歴史が感じられます。

神社から北に降りると、皆坂の集落です。ここまでは電気も光ファイバーも来ています。ここは旭日甲と呼ばれた鉱山ですが、現在はほとんどの家は空き家のようでした。しかしそれでも人がいて、いきなり大音量で音楽が鳴ったりするので、足早に通り過ぎました。荒れ果てた人家を過ぎて、これも荒れた山道となりますが、NTTの電話線が張られています。皆坂のすぐ上の峠は竹の倒木で埋まっており、電話線も切れ切れです。ここを大きく迂回して進むと、また自然歩道らしい道になります。その先で地形図では東から来た破線道と合流しますが、ここには大きな建物があり、犬が何頭か吠えているのが聞こえました。ハンターの犬ではなく、ここの施設の犬らしいのですが、あまり出会いたくないタイプの吠え方だったので、ここも足早に通り過ぎました。あまり気持よく歩ける自然歩道ではありません。

この先はジグザグに登りますが、ここにも電柱があり、電線が峠を越えているようです。こちらは中才には降りずに峠から西に尾根を歩きました。すぐに墓地があり、文政、寛政など江戸時代後期の墓石がありました。この先は道がなくなりますが、落ち葉の上を割と気持よく歩けました。410m+ピークまで来るとネットがあり、これに沿って歩きましたが、そのまま歩いていると西に降りてしまので、途中から南に向かって登りました。尾根が広くて方向が分かりにくいのですが、ピーク付近には滝の上三等三角点(445.88m)がありました。近くに白黒に塗られたポールが立っていました。ここから南に降りるのですが、方向が分からず、まず東の尾根に、次に西の尾根に降りてしまいました。戻ってようやく南に落ち葉を踏んで歩くと、県境に出ました。この地点には、明治15年のお地蔵様が立てられています。備前国和気郡多麻村の方が作られたものですが、亡くなった子供のためのもののようでした。背景の石積みの中に生えている木も含めて、厳かな空間が作られています。その木には道標が打ち付けられていますが、字が消えて読めません。

とりあえず南に尾根を進みました。西側には林道が見えます。航空写真で見ても、この付近の岡山県側は林道が縦横に走り、大規模に伐採されています。しかし県境はどこなのか、よく分かりません。地形図で見ても、特徴のない斜面を降りているように見えます。藪の中を左右に探し、地形図で県境を破線道が横切っている鞍部を見つけました。ここから破線道を頼って東に降りましたが、道はありません。とはいえ幅の広い谷で水も少ないので、歩くのは難しくありません。少し降りた所で、流れに沿って谷を曲がったのですが、そのために南に行ってしまいました。これは八保の方の皆坂に行く谷で、こちらに行くと帰れないので戻りました。正しくは東方面に、流れを遡って、350m+の峠に行かねばなりません。この途中でも間違った谷に迷い込みました。この付近の地形は本当に複雑です。しかし谷の幅が広いので、割と楽に歩けます。峠には「あせびの丘」と書かれた木製の道標があります。どうやら私の通った谷ではなく、ここから北に行く道で先ほどのお地蔵様の所に出られるようです。東は石戸村方面となっており、これが私の下山路となります。しかし道標はこれだけで、あとは荒れた谷を降りることになりました。道はありません。落ち葉が積もっているとはいえ、下はガレ石ですので足が痛くなりました。しかも谷が狭くなると倒木が増えて流れに沿っては歩けなくなり、北側斜面を通りました。そして植林に出て、間伐材がそのままになっている斜面を降りると、今度は段々畑に出ました。石垣は立派ですが、これも長年放置されているらしく、草や木が生い茂り、足元はぬかるんでいます。なんとか畑を下り、まともな道に出てきたのは、地形図で小屋尾と書かれている付近でした。この谷は大鳥圭介が閑谷学校に行った時に通った道だそうですが、当時とは全く様子が変わっています。降りてきた地点は鉱山社宅跡の少し西、皆坂の滝への分岐でした。皆坂の滝が私の見た小皆坂の滝だとすると、ここから行くのは大変でしょう。なお、私の注意を引いたのはここに建てられている昭和13年の「国民精神総動員記念」という石碑でした。

何回も道に迷ったために4時間半もかかりました。展望は無く、坑道にも巡り合わなかったのですが、冬の山歩きは満喫出来ました。もう少し歩き易いと良いのですが。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「上郡」「上月」です。

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