2014年3月8日土曜日

上月町の大釜

2014/02/11に上郡町の黒石に北から登った時に、思いがけず廃村の近くを通りました。今回はその廃村に行ってみることにしました。

登り口は前回とは変えて、上秋里のすぐ上流の、県道368が90度に曲がっている所の尾根に登りました。害獣避けの金網に入り口を見つけて尾根を登って行きました。適当な踏み跡があります。しばらく登って上秋里の方からの尾根と合流すると道が広くなりますが、この入り口の両側には石があって、門のように見えました。そのまま急斜面を登って行くと、案の定350m+の細長いピークに上がった所に祠がありました。簡単に開いたので中を覗いてみましたが、入り込んで出られなくなった動物の死体がありました。この尾根は東側の388mピークのある尾根とは平行に走っているので、一度東側の谷に降りてみました。広い谷です。ここから388ピークに登って、尾根をぐるっと回って南に進みました。388mピーク付近は植林です。少し南に行くと東側が谷で展望があります。こんなに登ったり降りたりしなくても、この付近に渡ってくればほとんど谷に降りずにこちらの尾根に渡れます。

この先は南に尾根を歩きましたが、道があります。倒木で荒れてはいますが、以前はもっと良い道だったのでしょう。そして東からの尾根との合流点で太い林道に出ました。2010/5/8に久崎の西側の山を一周した時に、433mピーク(長畑山)と430m+ピークの間で久崎の方から上がってくる太い林道と出会いましたが、それがここまで伸びているようです。この道は南に行くのですが、西播東岡山線34鉄塔のあるピークの東側を通っています。鉄塔の北側に道があるので、それを辿って大釜の集落を探しに行きました。この付近はちゃんとした道ですが、これは昭和44年発行の25000地形図に描かれている破線道です。地形図ではこの破線道は390mピークの東の谷を通って久崎に通じています。

まず35鉄塔があり、この地点からは北側に展望が得られます。ここからさらに西に行く尾根道は不明瞭ですが、木の間の広い尾根なので問題なく歩けます。そして、竹が増えてきたと思うと、石垣があり、瓦などが落ちていて、家の跡だということが分かります。ここが大釜です([1])。建物として残っているのは納屋だけです(写真)。他にはタイルの流しや風呂が残っていますが、付近一帯に夥しい数の一升瓶があるのは何故でしょうか?倒れた竹で歩きにくい家の残骸のある付近からさらに西にも行きましたが、墓地がありました。墓石は、兵隊さんの立派なものも含めてすべて倒れていました。明治、大正のものが多いようです。村の生活は想像できませんが、途中に電柱らしきものが倒れていましたし、「水道新設記念」という碑もあったので、かなり近代的な生活ができたのではないでしょうか。なお、抜位という集落([2])は、34鉄塔の南側の標高380m付近にあったようです。

大釜からは南に尾根を進みました。この付近ははっきりした道が無かったのですが、尾根を少し下ると道に出てました。これは古い地形図にある破線道の続きです。少し歩くと大きな石碑があり、その下に、「右くろいし 左いちはら」という道標がありました。古い地形図では、左は市原ではなく千種川に降りる道のように見えます。黒石方面に歩くと、前回に黒石から来た時に通った道に繋がっていました。前回に通った通りにジグザグに南の谷に降りましたが、この谷はよく見ると谷の奥に石積みがあって段々畑の跡です。古い地形図では、破線道はここで谷に降りずに真っすぐ行って黒石につながっています。谷は確かに畑のマークになっています。この谷を遡って、上月町と上郡町の境界の尾根に登りました。さらにその尾根を横切って西に降りると、地形図の畑の付近は確かに畑で、道も何本かありました。町界が畑の真ん中を横切っているのですが、これは車の通れる道です。これを北に歩いて行くと、414mピークの北のあたりで終わっていました。鹿に食べられないようにネットで保護された桜の植林がありましたが、こんな所で花見でしょうか?

ここからは西に尾根を歩き、さらに北の方へ向かうと植林です。尾根の終わりでちょっと北に上ると、地形図の破線道に出ました。これは立派な林道で、県道まで楽に降りることができました。車も通れる道ですが、途中で橋が流されているので、現在は車で登ってくることはできません。途中の溜池は高低差の大きな堰堤が印象的でした。

大釜には、ちょっと距離はありますが久崎から林道で近くまで行けそうです。以前は大釜まで車で行けたでしょうから、探せばもっと良いルートがあるはずです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「上月」です。

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