2014年5月11日日曜日

西新宿の岡坂集落

これは藪山探検というよりは、廃村探検です。

佐用町上月から秋里川を遡って行くと、西新宿という地名が地形図に書いてあります。なぜここが西新宿か不思議だったのですが、三日月が東新宿なのだそうです([1])。確かに地形図でも三日月の西に新宿という地名があります。秋里川を遡り続けると低い峠を越して岡山に行けますので、昔はこれは重要なルートだったのでしょう。

西新宿に入ると、地形図では建物が一つ描いてあり、そこから西に破線道があります。昭和44年の地形図(25,000分の1)では、破線道の南北に建物があり、ここに岡坂という地名が書かれています。行ってみると、破線道の南には崩れた家があり、北側は瓦礫と金属製の物置がフェンスの中に収まっています。2010年以降に家が撤去されたのでしょうか([2])。破線道は倒木がありますが良い道で、登って行くと地形図どうりに分岐があります。真っ直ぐに歩くと北側斜面を登り始めて、地形図のように一回ターンすると、立派な石垣がありました。ここから上は斜面に何段にもわたって石垣があり、平地が作られています。一瞬城跡かと思ったのですが、石のタイルを使った風呂の残骸や、陶器の食器のかけらや、ヤカン、バケツ、錆びた農機具の残骸などと瓦が散乱しており、廃村につきものの青い一升瓶も転がっています。登って行くと、「離村の碑」と書かれた板が立っていて、その先に石碑がありました。それによると、昭和40年10月11日に火事があり、16戸中11戸が焼失したため、離村することになったとありました。どうりで燃えるものは残っていません。歩き回ってみましたが、とにかく村の広さには驚きました。給水設備もあり、電話が来ていたことも電信柱で確認できました。

しばらく歩きまわってから、地形図の破線道を遡ってみることにしました。谷沿いに道がありますが、ここは段々畑になっています。廃村につきものの竹が畑にたくさん倒れており、歩くのは大変でした。なんとかして谷の奥にたどり着きましたが、ちょうど送電線が頭上を越しているあたりで道がなくなりました。地形図では道は東に折れるはずなのですが、見つからないので、真っ直ぐに強行突破しました。急斜面の藪をちょっと上がると、石垣が見えました。その上には、金比羅神社があってびっくりしました(写真)。神社に掛かっていた「西新宿金刀毘羅宮の由来」によると、元録(元禄?)元年(1688年)創建だそうです。灯籠は明治19年ですが、鳥居は平成6年に吉永町の方が建てられています。この方の苗字は、離村の碑にもあったので、ここ出身の方なのでしょう。狛犬は備前焼ですが、残念ながら「阿」の方の頭部が無くなっています。

岡坂村の神社だとすると村まで道があるはずなので、行ってみることにしました。神社の前から割と良い道があり、途中ときどき不明瞭になるものの、岡坂集落まで降りることができました。この道は、実は昭和44年の地形図に載っているものです。なおこの地形図には既に岡坂集落の建物は一つも描かれていません。この道で集落の上のあたりに行くと、古い墓地がありました。墓石が散らばっていましたが、一つは寛政年間のものでした。新しい墓地は未確認ですが、集落の西の方にあるそうです([2])。

神社に戻って、北に歩きました。神社には平成2年と12年に訪れた人たちの写真が飾ってあり、お年寄りも多いので、ここまで良い道が来ていることは明らかです。じっさいこの道は自動車も通れそうです。すぐに地形図どうりに分岐があり、まず北に行ってみました。地形図では破線道が真っ直ぐ北に伸びて終わっていますが、実際には366mピークに行っており、その先も続いていました。ただし倒木が多いので車は通れません。分岐まで戻って西へ歩きました。西の分岐点には、赤白に塗られた西播東岡山線42鉄塔があります。ここから北に歩き、標高387.2mの西新宿三等三角点に行ってみました。道から林の中を登ると、山頂に三角点があります。周囲は伐採されています。この三角点は現在国土地理院が手続き中とのことで、座標値等の閲覧はできません。この山は昭和44年の地形図では岡畑山(386.8m)と記載されています。

岡畑山から南に道を戻りましたが、この道には「空気弁」と書かれたマンホールのようなものがいくつかあります。鉄塔は夜間に点灯するのか、電信柱伝いに電線が来ていますが(電柱には大日山と書かれている)、途中で倒木が電線の上に倒れており、支えるのが大変そうでした。少し降りると「西新宿配水池」があります。その南には現在の地形図では惣田と書かれて建物が描かれていますが、ここには建物は残っていません。瓦や、なぜか大きな扇風機、記念碑(「念」より上は残っていない)などがあって、かつて家があったことは明らかです。「大日山」の電線は、ここで東に降りて行っていました。

ここからは破線道どうりに谷を降りましたが、倒木が結構ありました。そして、南の奥ケ市の方には行かずに岡坂へ破線道を戻りました。この道も荒れ気味ですが、川には石積みがあってしっかりと作られていました。この道は車は通れませんが、惣田の建物跡付近のすぐ南に地形図にもある大日山方面への分岐があって、これが良い道でした。おそらく神社まで車で行くには、この道を使うしかないと思います。

廃村にもいろいろありますが、これは悲劇の廃村という感じです。岡坂村出身の方の中には、今でも移った先でお元気な方もおられることでしょう。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「上月」です。

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