2014年10月8日水曜日

明延のスリガ峯三角点

先週(2014/10/04)のリベンジで、もう一度明延から尾根伝いに登ってみました。今回は前回よりも谷の一つ奥の、尾根にしました。明延から鉱山前を通る市道一ノ段線を通って、明延浄水場に車をとめて、登りやすそうな地点を探しました。道路から尾根の先端を見上げると、石垣が見えたので、急斜面を登ってみました。すると石垣の上は線路でした。なるほど、これが一円電車の軌道です。東に行ってみると、尾根の先端にはトンネルがあります。その先は堰堤のところで終わっています。反対側は鉱山の方向ですが、足もとに気を付けて歩いていくと、谷を橋で渡った所がトンネルになっており、金属の扉で塞がれています(写真)。この谷は市道から入山禁止の看板が見える谷です。谷の付近を少し歩いてみると、石垣やコンクリートの遺構があります。谷に橋を渡していたようですが、目的はよく分かりません。また、電線が谷をさらに登って行っており、谷の奥にも何かありそうでしたが、目的は山登りなので尾根に取り付くことにしました。

尾根の先に戻って、急勾配の植林を登りました。手を使わないと登れない斜面です。斜面の上には有刺鉄線で囲まれた立入禁止の場所もありましたが、そこは避けて登りました。岩が多く、展望もあります。振り返ると明神山が見えていました。この山の石は白かったりピンクだったり、鉱山だけあって他とは違っており、急な尾根ですが、疲れるだけでなく意外と楽しめました。岩場の上は藪っぽく、屈んで登って行くとなだらかな自然林の林になりました。そして広々した自然林の尾根に出たと思ったら、共同アンテナがありました。さっき谷に張られていたケーブルは、これに繋がっているのかも知れません。最盛期の明延で人々が楽しんだテレビの素はこれだったのでしょうか?ちょっと歩くと山頂に出ました。金属プレートのスリガ峯四等三角点(1021.89m)があります。周囲はちょっと開けていますが、展望はイマイチでした。このピークは、高岩峯と呼ばれているようです。

三角点からは日本分水嶺でもある朝来市と養父市の境界の尾根を南に下りました。自然林がきれいですが、ワイヤーロープが張ってあります。高度が下がっていくと、東側下の方に林道が見えました。佐中から来ている林道ですが、今は須留ケ峰線なのでしょう。これを使えばこの登山は容易です。しかし尾根の美しさも捨てがたく、ちょっときつい登りのあと、金ヤガ谷四等三角点(929.37m)に着きました。これも金属プレートです。ここから尾根をだらだらと降りると、植林になり、地形図の836m地点に出ました。ここは明延と佐中にを結ぶ道の峠のはずですが、三菱マークの標石などいくつかの杭がある程度で、何もありません。

峠からは西に植林を降りました。割と手入れの良い植林で、歩きやすいのですが、途中で廃村を見に行きたくなって、南に歩きました。地形図からは意外なくらいに深い谷がいくつか植林の中にありますが、基本的には地形図どうりなだらかな植林です。銀色のものが見えたと思ったら、植林の中にステンレス製の電信柱が2本並んで立っていました。これは山の上の方にも下の方にも続いており、かつてはケーブルが張られていて神子畑と明延の間の通信に使われたのかも知れません。電信柱を辿って降りて行くと、石垣に気が付きました。そちらの方向に行ってみると石垣がいくつもあって、これが一ノ段という村([1])のようでした。家屋の跡はほとんどありませんが、少し降りて行くと墓がいくつかあり、一番古いもの(墓石ではなく石仏?)は安永年間とかなり古いものでした。他の墓は、明治、大正のものでした。

ここからは谷を降りましたが、地形図の破線道はほぼ消えており、非常に疲れました。場所によっては一度南の山に登り返しました。「くらしを支える森づくり事業」の看板の所で北に流れを渡り、さらに岩だらけの谷を降りて行くと、お堂がありました。いちおう祠が祀られていましたが、中には何もありません。さらに下ると地形図で墓地の描いてある分岐に出ました。墓は3つありますが、立っていたのは大正年間のもの一つでした。この先は林道奥山支線だと思いますが、護岸のコンクリートは残っているものの、道の土はほぼ流失しており、ひどく歩きにくい林道でした。一ノ段の村から明延浄水場まで1時間かかりました。

一円電車は尾根の先をまわってから明延浄水場の所で川を渡って、トンネルに入ります。浄水場の奥にトンネルの入り口がありますが、これも金属扉で、中を覗くとコンクリートブロックでしっかり塞がれていました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「大屋市場」です。

0 件のコメント: