2014年9月21日日曜日

カカナベ峠から登る御祓山

カカナベ峠から御祓山に登ってみました。カカナベ峠には播但道の朝来インターから行きましたが、建屋川沿いの奥山から林道へ右折する所の狭さにビビりました。しかし狭くてもきれいに舗装された道で、少し行くと幅も広くなりました。カカナベ峠まで行くと、道が二つに分かれていました。ひとつは地形図どうりに宮本方面へ行く道で、もうひとつは須留ケ峰の方へ向う新しい林道で、通行禁止となっていました。カカナベ峠で車を降りて、北側の植林を登り始めました。急勾配です。しかし下草は全く無く、楽に登れました。540m+まで一気に登って、あとはさほど急斜面ではありません。リスが木の実をくわえて走っていました。630m+ピークには地籍調査の金属プレートとポールがありました。周囲は自然林が多いのですが、山頂に近づくと植林になり、再び気持ちの良い自然林になると山頂でした。

山頂は以前に来た時(2014/08/14)と同じです。下山は南に登山道を降りました。途中に大きな岩があって、トラロープ付きの巻き道があるのですが、狭い道でした。そして登山道が西側の斜面を降りて行くあたりで尾根の上を歩き、南東の尾根に斜面を降りました。目的の尾根はよく見えないので、方向を定めて降りました。この尾根は道はありませんが、歩くのに差し支えはありません。しかし徐々に岩が増えてきました(写真)。岩場の細尾根は楽しいのですが、足を滑らせれば滑落です。あまりに急で岩を巻いて降りなければならない場所もありました。しかし最後は植林に出てほっとしました。南に急斜面の植林を降りて、鞍部から林道へ出ようとしたのですが、ガードレールは見えていてもシダが生い茂っていて行けません。斜面をトラバースして林道に辿り着きました。

あとは林道を歩いて帰れば良かったのですが、地形図に近道の破線道が描いてあるので、これを歩こうと思いました。破線道の位置で危なっかしい板製の橋で流れを渡ると、別荘のような建物があり、その隣の墓地が目に入りました。寛保、宝暦年間という古いものまであり、ここに村があったことを示します。じっさい多くの石垣が残っており、数軒の家があったことは間違いありません。後で調べると、これは岩井という集落の跡だということが分かりました([1])。交通の要所ではありますが、なんとも狭苦しい所に暮らしていたものです。破線道に戻ってカカナベ峠へ向かいましたが、谷沿いなので倒木も多く、道も少し石積みが残っている程度で消えているところがほとんどでした。ミツマタが生えている所も多く、枝をかき分け、倒木を避けて歩くのは大変でした。最後は諦めて尾根に上がり、林道に出ました。

カカナベ峠を通る道は、宮本側では県道森大屋線(県道279)となっていますが、奥山の入り口には広域基幹林道須留ケ峰線起点となっていました。笠杉トンネル付近から北に工事が進んでいる林道と繋がるのでしょう。なお、林道のあちこちに9月2日から11月14日まで入山禁止という札が立っていました。松茸山なのでしょう。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「大屋市場」です。

2014年9月20日土曜日

和田から登る銅山

この和田は、養父市大屋町の、明延川沿いの和田です。明延鉱山跡の北側となります。まず和田から西へ舗装道路を走りました。細い道ですが舗装は綺麗です。途中には、アルトス・ビレッジなるペンション(?)や、この付近にあった製糸工場のことを書いた説明板などがあります。舗装道路の終点で車を停めて歩きはじめようとすると、きれいな石垣が目にとまりました。歩いて行くと、未舗装の道沿いに綺麗に組まれた石垣が積まれており、今は植林になっていますが、平地がたくさん作られていました。石垣の立派さは多くの山城を凌ぐものがありますが、整地の仕方は城というよりは村のようで、しかも新しいものです。崩落した道を登ると「大屋町指定文化財 史跡 古屋の小倉屋敷跡」という杭がありました。さらに登って一番大きな石(と言っても1m以上のものはありませんが)の使われている石垣の所には「遺跡 小倉屋敷石垣 この西北一帯、数年間の歳月と巨額の費用を投じて築造、宝暦元年(1751)の完成と言う。。。」という説明書きがありました。古い歴史を持った村の跡のようです([1])。昭和47年に廃村とのことなので、電気も来ていたようですし、碍子やタイルなども落ちていました。村を抜けてさらに南西に古い道を登りました。この谷の南側の段々畑も石垣でしっかりと作られたものでした。地形図の破線道は残っていますが、徐々に灌木が増えてきて抜けられなくなりました。そこで谷は諦めて目の前の斜面を登ることにしました。谷を真っ直ぐに進めば、霊鷹鉱山があったはずです。

目の前の斜面は地形図ではあまり急勾配ではないのですが、実際には腕を使わずには登れません。植林ですが木が小さいので枝が邪魔です。そのうちに自然林になり、やや勾配が楽になったと思ったら美しい植林に出ました。ここからは植林を尾根まで登り、南に銅山を目指しました。「大昭和」という標石が目立ちます。下草のほとんど無い、木の間隔の広い尾根で、緑が綺麗で気持よく歩けました。307mピークを通り、徐々に周囲が広くなり、ますます気分が良くなりましたが、最後は標高900mのところで急斜面に突き当たりました。これを頑張って登ると、日本分水嶺の主尾根に出ました。「界標第六拾」と彫られた標石がありました。ここからは西に歩いて、銅山山頂に出ました。宍粟50名山の一つで、筏三等三角点(953.82m)があります。

銅山山頂からは日本分水嶺を東に歩きました。ここは以前(2011/05/05)にも歩きましたが、素晴らしく気持ちの良い尾根です。「サロンパスの木」という札のかかった木を二本見ましたが、ミズメでしょうか。ほとんど平らな尾根ですが、857mピークの手前で大きな下りがあり、登った所で北に下山しました。こんな気持ちの良い尾根を離れるのはとても残念でした。しかし下山に使った尾根も下草は無く、歩きやすくて助かりました。最初は植林ですが、下って行くと自然林になりました。それでも歩きにくいことはなく、ピンクテープのマーキングが続いていました。最後はあまりに急なので右手の平坦地に降りました。ここも明らかに畑で、細く急な作業道で谷まで降りられました。この付近には石垣があり、碍子が落ちていたり、コンクリートの水路などもありました。谷を渡って再び石垣目指して登り、村の跡に戻ってきました。

石垣の立派さに圧倒され、山歩きでは緑の美しさに圧倒され、歩いていたのは4時間弱でしたが堪能出来ました。村跡は墓地などを見ておらず、また行かねばなりません。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大屋市場」「戸倉峠」です。

2014年9月17日水曜日

福定親水公園から登る氷ノ山

たまには普通のルートの登山がしたいと思って、氷ノ山に行きました。東側の福定親水公園を起点としました。姫路からだと播但道と北近畿豊岡自動車道を使ってアクセスは良いのですが、それでも2時間かかりました。

案内板の通りに、瀞川・鉢伏山線を歩きました。布滝の下で流れを渡り、ジグザグに斜面を登っていきます。不動滝という標識もありますが、木が茂っていてよく見えません。少し平らになると地蔵堂があります。次は金属梯子で流れを渡り、ひたすら氷ノ山越を目指して歩きました。途中には木地屋跡とか弘法ノ水とか、さすがに昔から使われた道だけあって名所がいくつもあります。そして1時間半の登りの後に氷ノ山越に着くと、お地蔵様と避難小屋があります。ここからはネマガリダケの回廊を歩いて山頂に向かいました。広い道ですが木の根などの障害物も多く、意外と疲れる道でした。しかしとても良く整備されています。1時間近く歩いて、山頂に着きました。避難小屋と、氷ノ山一等三角点(1509.77m)があります。近くにトイレもあります。雲が多く、あまり展望が無かったのが残念でした。

下山は東尾根と決めていたので、大段ヶ平の方向へ下山しました。こちらの尾根は地形図では古生沼と書いてありますが、ネマガリダケだけではなく背の高い草や灌木が茂っており、地面はぬかるみが多いので板が敷いてあります(写真)。なだらかですが、人の手が入らなければ歩けない尾根です。この付近はもちろん兵庫県の他の山よりも標高が高いのですが、それにしても植生の違いは驚くべきです。ここだけ高い木が少なく草が茂って湿地帯になった理由は何なのでしょうか。神大ヒュッテ(神戸大学氷の山体育所)から東尾根に折れて下山しました。こちらの尾根もぬかるみが多く、ときどき人面岩とか比翼連理(というか「連理の枝」)のような面白いものがありますが、相変わらずササが多く、コナラの林になったのは海抜1000m近くになってからでした。休憩小屋から北に降りて、東尾根登山口に下山しました。あとはスキー場の中の林道を歩いて、福定親水公園へ戻りました。

登山コースなので標識も多く、道も整備されていて文句ありません。余計な階段も無いので助かりました。ただ、氷ノ山はコースを外れて歩ける山ではありません。ネマガリダケは強靭ですし、古生沼のようにジャングルと化している所もあります。兵庫県の木々が美しいのんびりした山とは全く違った味わいの、プロ向けの山という気がします。

展望 ★★★
藪山度 ☆☆☆
地形図は「氷ノ山」です。

2014年9月6日土曜日

山南町坂尻から和田村三等三角点

丹波市山南町に、坂尻という集落があります。ここから東側の加古川沿いにある応地集落までは以前は峠越えの道がありましたが、今は牧山トンネルというトンネルができています。ここから北に尾根を歩いてみました。坂尻集落から旧道を登りました。最初は草ぼうぼうですが、途中から峠道らしくジグザグに登る山道になりました。地形図の232m地点が峠で、宝暦年間というかなり古いお地蔵様と「南無阿弥陀仏」と彫られた石が立っていました。峠から北に縦走です。シダが邪魔ですが、まずまず歩きやすい道がありました。394.6mピークの手前には地形図どうりに岩がありました。巻き道もありましたが、正面から登ってみました。登るにつれて展望が広がっていくのが嬉しいのですが、滑落注意です。登ると東から西まで南側の展望が広がります。写真は坂尻方面です。ピークには坂尻四等三角点(394.78m)があります。

間違えずに北に降りると、歩きやすい尾根になります。ピンクテープのマーキングが続いていますが、テープから次のテープが見えるとは限りらないので、方向を決めるのにはあまり役に立ちません。しかし迷う所はあまり多くないでしょう。尾根に大きな岩のある所は、巻き道があります。岩の多い尾根です。特に460mピーク(古天神山?)の岩は大きく、正しく北に向かうのに苦労しました。ちょっと降りると植林の中に赤い矢印型の「火の用心」が3枚あって、44,45,46の方向を示しています。ここからは関電の巡視路なので安心して歩けました。ここに立っているのは奥多々良木線45鉄塔です。さらに北に歩いて少し登ると播磨中央線の鉄塔がありました。番号は確認してありませんが、77でしょうか。さらに巡視路を歩いて、和田村三等三角点(596.41m)へ行くことができました。ここは高釣瓶と呼ばれるらしく、さらに北へも行けますが、天候が怪しかったのでここから下山することにしました。ありがたいことに三角点から巡視路が尾根を降りて行っています。まず播磨中央線75鉄塔があり、さらに巡視路が続きます。急峻な尾根なので、黒いプラ階段がありがたく思えました。ジグザグに、時として岩の中を抜けて降りていきます。ネットがあるなと思ったら奥多々良木線43鉄塔がありました。「よう壁転落注意」と書かれた札が立っていました。この先も急勾配の尾根を降りて、最後は植林を抜けると、林道に出てきました。あとは手入れの行き届いた美しい植林を抜けて坂尻まで戻りました。

あまり高い山の登山ではないのですが、暑く湿度の高い日で、風も弱かったのでとても疲れました。冬がお勧めです。展望は意外とあちこちでありました。山の名前等は、ほぼ同じコースを歩いているこちらを御覧ください([1])。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「丹波和田」です。