2015年5月30日土曜日

丹波市柏原の清水山と譲葉山

2015/04/27に水分かれ公園から向山と清水山を歩きました。今回はその南側を歩いてみました。起点は柏原の八幡神社としました。清水山付近に八幡神社への道標があったからです。立派な三重塔を過ぎて、一旦少し降りて人家のような建物の前を抜けて尾根を北に歩きました。給水設備のあと、国威宣揚塔というものが立っていました。昭和13年に作られたもので、おそらく戦後ここに移されたのでしょう。その先には、藤の目四等三角点(242.97m)の標石があります。この付近にははっきりした道はありませんが、歩くには差し支えありません。330m+のピークを越えて、その先は地形図では西から破線道が上がってきていますが、未確認です。しかし標高350m付近の急斜面にはトラロープが張られており、ここが登山道だということが分かりました。さらに斜面を登って、標高450m付近の岩場にもトラロープがあり、清水山への登山道に間違いありません。しかしその先は尾根が広くなり、道は不明瞭なので見失って、結局藪漕ぎをして清水山に着きました。柏原の町からも見える反射板と、清水山四等三角点(545.31m)があります。展望も楽しめます。

清水山からは前回の逆コースで、不思議な地形を抜けて蛙子峰の手前まで行くと譲葉山への道標があります。ここから「分水界の径」を東に尾根を歩きましたが、何の道標もなく、やや藪っぽいので道に迷いました。ピンクのマーキングを辿って行くと南に行ってしまい、戻ってGPSを頼りに東に向かって降りて行くと、やがて野村峠(藤ノ目坂)の標識に出会いました。ここは地形図では破線道が横切っている地点です。この先も案内板は無いのですが、坂を登ると梅堺(ウメノキョウ)です。ここには新設らしい金属プレートの藤ノ目北四等三角点(571.33m)があります。次の480mピークへの分岐の手前には、野村峠口への道標があります。この付近は尾根が一本道で、迷う心配は全くありません。さらには棚原峠(奥地坂)480mという標識があり(ただし下山道がないという注意書きもあり)、権現山三等三角点(541.26m)に着きました。北に展望があり、黒井城が見えます。この先も気持ちの良い尾根道です。柏原高校ワンダーフォーゲル部の古い案内板があります。そして譲葉山は広い平地で、手入れの悪い植林ですが下草が無いので開放感が漂います。譲葉神社がありますが、中に小さな祠のある東屋という感じです。

譲葉山からは西に尾根を降りました。少し下ると柵で囲まれた低い松の生えている平坦地があり、見長無給電中継所反射板跡地と書いてありました。かつては展望があったようですが、今は全く何も見えません。しかしちょっと降りると展望の広がる場所がありました。柏原の街だけでなく、高見城山や石戸山が望めます(写真)。この先は整備された尾根道を下りました。途中に藤ノ目南四等三角点(467.31m)があるのですが、道は尾根上を通らないので、わざわざ藪を抜けて見に行ってきました。これも新設の金属プレートです。標高400m付近には東奥への分岐がありますが、まっすぐに尾根を降りました。ほぼ良い道なのですが、351mピーク付近からやや藪っぽくなりました。そして登山道を見失い、さらに尾根をひたすら歩くと、標高160m+ピーク付近に古い墓がありました。17世紀のものまであります。さらに金網があり、扉を抜けるとまた墓地でした。少し新しいものもありますが、江戸自体のものが主体です。ここからも簡単に下山できましたが、さらに無理やり尾根を降りて、最後は神社に出てきました。

最初は古い登山道なのを承知で登りましたし、最後は無理やり尾根を降りたので少し藪がありましたが、全体に歩き易い山でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「柏原」です。

2015年5月27日水曜日

大ボウシと波佐利山

大ボウシは国道29号線を北上して戸倉峠から鳥取県に入ってすぐ南にある山です。地形図にも山名が書いてあるので印象深いのですが、大きな山なので周回コースを組みにくいのが難点です。今回は時間を掛けて大きな周回コースを歩いてみました。

登り口は29号線を戸倉峠から鳥取側に降りた大野にしました。大きな木の下に神社があるのですが、この正面の植林に取り付きました。かなりの急斜面ですが、植林なのでなんとか登れました。531mピークに出るまでは、とにかく我慢の登りでした。その先は少し勾配は楽になりますが、それでもずっと厳しい登りです。大ボウシまでは700mの標高差を登らなければなりません。この尾根は下草がなく、新緑も綺麗で、体力を要しますが登山としては申し分ありません。主尾根に上がるとササが生えているのではと心配していたのですが、そんなことはありません。長い登りで疲れますが、気温も適当で気持良く歩けました。

大ボウシからは南側に展望があります(写真)。これから歩こうとしている山がほとんど見えていました。大宝三等三角点(1059.06m)があります。ここからも新緑の美しい歩き易い尾根が続きました。974m、1090m、1072mと多少のアップダウンはありますが、山歩きですから当然です。ササは徐々に増えてきますが、ほとんど枯れていて問題にはなりません。1080m+の三叉路から波佐利山へのダウンとアップはかなり急勾配です。波佐利山山頂はササが多いだけで展望もなく、わざわざ寄り道するほどの所ではありませんが、波左利三等三角点(1191.68m)と宍粟50名山の板があります。

1080m+ピークまで戻って、南西に県境の尾根を歩きましたが、これも気持良く歩けて、どこまでも行きたかったのですが、下山のために次の1080m+ピークから北西に尾根を降りました。これも歩きやすい尾根で、1072mピーク付近はちょっと木が密集していましたが、その先も特に問題なく歩けました。問題はその先の1050m+ピークからどちらに行くかで、北東と南西はともに谷に降りますが、地形図で見ると急勾配です。北東側は破線道に降りるので、道があるかどうか不安でした。結局もっと尾根を歩くことにして、さらに北西に歩きました。この方向では最初に急勾配があり、そこからなだらかな尾根が延びています。最初の急勾配は方向がよく分からず間違った方向に降りそうになりました。GPSで位置を確認するのですが、尾根がはっきりしないので斜面をさまよいました。結局は長い尾根に降りられたのですが、これが藪尾根で、アシビなどの低木が多く、抜けるのに苦労しました。735mピーク付近まで、藪を出たり入ったりしながら進み、その先でようやく少し植林があってほっとしました。最後はまた急斜面を降りて、林道に出ました。そのあとは大野まで舗装された林道を歩きましたが、標高404m地点の付近には江戸時代(それも享保とか宝暦とか)の墓地があって驚きました。

ササが少なくて安心していたら、最後に藪に突っ込みました。藪山探検隊ですのでしかたありませんが、藪の質が変わってきているような気がします。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「岩屋堂」です。

2015年5月23日土曜日

山南町の行者山と三組尾再び

2014/11/22に登った時には行者様を見られなかったので、再び山南町の行者山に登りました。今回はルートを少し変えて、山南町小畑の西の谷を登りました。大きな害獣避け扉を開け(内側から閉めるのは至難の技でした)、墓地を抜けて谷を登りました。その先は「危険!通行禁止」という札の立っている橋がありましたが、歩いて渡るのは大丈夫でした。谷の奥には堰堤が3つありましたが、あまり奥まで行くと急斜面すぎて登れなくなるので、2つ目の堰堤付近から尾根を求めて登り始めました。間伐された木の枝が転がっている急斜面を登って行き、さらにシダの間の急斜面を登って行って、主尾根に出ました。あとは主尾根を402mピークの行者山まで登りました。

行者山のピークに着いてから、東側の斜面を少し降りて行者像を探しました。小さな平坦地があって、行者像を二つの鬼の像がはさむ形で高い場所に置かれていました(写真)。行者山から三組尾までも前回と同じで、今回は途中に立ちはだかる大きな岩を真っ直ぐに登ってみましたが、巻くのが正解だと悟りました。三組尾には延命寺山三等三角点(539.68m)があります。下山は三組尾から少し戻ってから南に歩きました。こちらも歩き易い尾根で、途中ちょっとシダが生えていますが、問題なく下山できました。ただ山裾は頑丈な金網に囲われており、見つけた扉も開けるのは至難の技でした。

見上げればモチツツジ、足元には銀竜草という感じで、花を楽しめたのも収穫でした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「丹波和田」です。

2015年5月6日水曜日

丹波市の黒井城

福知山線黒井駅の北にあるのが黒井城です。南側の向山を歩いた時にてっぺんが平らな山があるなと思ったら黒井城でした。春日局が生まれたという堀のある立派な興禅寺を過ぎて、坂の上が登山口でした。ここに駐車場もありました。

コースは二つありますが、階段の嫌いな私は迷わずなだらかコースを選びました。途中の眺めも良く、ゆっくりと登れました。しばらく登ると立派な山門があります。石踏の段という場所だそうで、ここからさらに登ると三の丸、二の丸、そして本丸へと続きます。これらは平坦地で、向山から平らに見えた場所です。本丸のある平坦地などよく残っていますが(写真)、その割りには石垣は少なめな感じです。展望は素晴らしく、北も南も見えます。ヤマツツジがたくさん咲いており、城山三等三角点(356.76m)もありました。

黒井城からは千丈寺山ヘ向かいました。まずは山頂から降ります。こちらにも登山道があるのですが、さすがに城の裏手とあって非常に急です。ロープのある場所もありますが、危険な下山でした。鞍部まで降りて登り返すと、次のピークが西の丸とのことでした。木が生えてはいますが、ここも平坦地が長く続いています。眺望の良い場所もあり、さすがは城跡という感じです。平坦地から降りると、兵主峠です。ここからは割りと楽な尾根歩きで、木が両側から道を覆ってトンネルのようになっているのが良い雰囲気です。

千丈寺山(346m)の頂上も平坦で、まさに寺跡という雰囲気です。戦国時代には砦もあったはずです。何段もある平坦地を西に降りると、深い切り通しがあり、大野峠でした。ここには道標がありました。ヨコガワ峰へは急斜面で登れないかと思ったのですが、道が付けられておりロープもあって意外と楽に登れました。すぐに平らになりますが、ここからやや急斜面の長い登りがあって、山頂に着きました。稲塚四等三角点(363.74m)があります。ちょっと荒れ気味になってきた尾根を西に降りて行くと、次の鞍部では尾根に道がありました。水地まで700mという札が立っています。道標では次はは三日月山となっていましたが、どんどん出発点から遠くなるので、この道で下山しました。どうやら山の上の水源地から麓の浄水場に水を導いているようです。この道は最初は山の斜面を通り、その後は植林の谷を降りますが、この谷では水が谷底を深くえぐっていました。降りてきた所には古河浄水場があり、八幡神社に寄ってから黒井城の方へ戻りました。

迷いようのない尾根歩きで、展望も十分あり、ハイキングコースとしては万全だと思いました。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は[黒井」です。

2015年5月5日火曜日

大屋町の和田山

2014/09/20に、養父市大屋町の和田から日本分水嶺の銅山(うちおく)に登りましたが、その時に歩いた尾根の先は大屋市場まで延びており、歩きやすそうでした。そこで、その途中にある和田山に登ってみました。

和田の柳に車をとめて、前回は車で走った道を西へ歩きました。徒歩だといろいろな発見があり、「古屋記念碑」を見つけました。昭和47年に廃村となった古屋を偲んで、昭和63年に建てられたものです。30数戸を誇った古屋集落とありますが、工場もあり鉱山もあったという割には少ない感じです。しかしこの先の古屋の石垣を見ると、あまり多くの家は建てられなかっただろうなと思います。とにかく素晴らしく立派な石垣で作られた村で、石垣造りのプロがいたとしか思えません。製糸工場の跡地や鉱山、不動の滝もあるはずなのですが、未発見です。今日の目的は、この村を抜けて西に歩き、尾根に上がることでした。

地形図の破線道は実際には谷の南側を進みます。その後で谷を渡って北側に新しい林道があり、そこにUターンして繋がっています。谷を渡る付近の北側は伐採されており、伐採のために作られた林道のようです。さらに谷の奥に行く道ははっきりしませんが、ミツマタをかき分けて進むと、この先も谷の北側には石垣があり、かつては段々畑になっていたようです。現在は植林されており、木の高さが時間の流れを感じさせます。墓もあり、一番新しい日付は昭和34年でした。兵庫県森と緑の公社の看板を過ぎると石垣も減ってきました。この先も谷を遡ってもよかったのですが、谷が深くなると歩きにくいと考えて、尾根に上がることにしました。目の前の尾根は非常に急勾配でしたが、木に掴まって登ればなんとか登れました。岩が多くて足場がしっかりしているのが幸いでしたが、足を滑らせると滑落です。途中でちょっと楽になりましたが、尾根に上がるまでずっと急勾配でした。おそらく谷を遡ってもあまり問題はなかっただろうと思いますが、登る標高差は同じですから、しんどさは同じようなものでしょう。ただ、危険は少ないと思います。

尾根では852mピークに出ましたが、この付近は広々とした、非常に気持ちの良い場所です。東側は植林、西側は自然林で、自然林の新緑が目を引きます。北に歩くと、地形図でも傾斜地が見られますが、ここも急斜面でした。しかし手を使う必要の無い程度の斜面で、730m+の尾根に登れました。この先は気持ちの良い尾根歩きです。この尾根は下草が無く歩き易いのですが、ピークに来るとアシビなどが増えて藪っぽくなりました。750mピークもそうですし、その先の790m+ピークもそうでした。このような場所では方向の確認も必要で、間違った方向に進むと大変なことになります。790m+ピーク付近から先は尾根にネットがあります。

和田山三等三角点(809.10m)のあるピークは伐採されていますが、周囲の木が邪魔で展望はありません。この尾根からは須留ケ峰が木の間に見えるのですが、全体に木が邪魔です。ピークから北東に歩くと、地形図で破線道が尾根に横切っている付近は開けていますが、ネットはあっても道はありません。しかし下山を考えなければならないので、無理やり破線道があるべき植林の斜面を降りてみました。するとすぐ下に林道がありました。これは幅の広い新し目の林道ですが、どちらに行ったらいいのか分かりません。なんとなく下り気味の東方面に歩きました。この林道は尾根に沿って東に延びており、尾根歩きをちょっと下がった地点で楽しめる感じです。しかし問題は、いつまでたっても標高が下がらないことです。717mピークの下あたりには一般車通行禁止の札が立っていたので、下山方向に歩いていることは間違いないのですが、どこへ下山するかが大問題です。そのまま歩いて行くと、やや標高を下げながら651mピークの方向に向かいます。最後は直進と右折に分かれました。直進は砂利道で、おそらく地形図の実線道とつながって大屋市場降りていきます。しかしこれでは柳には帰れません。もう一方の道がどこへ行くか歩いてみたのですが、結局651mピークの手前で終わってしまいました。しかたなく尾根に上がると、東側の大展望が広がっていました(写真)。須留ケ峰と御祓山、それに大屋富士や建屋山が見渡せます。ここに柳四等三角点(651.32m)があります。

そのまま林道を降りると大回りになるので、尾根伝いに柳に降りることにしました。まずネット沿いに南東の尾根を降りて、さらにネットに沿って南に斜面を下りました。しばらくは藪っぽい急斜面を降りましたが、徐々に楽になり、岩場を降りると新緑の美しい尾根になりました。この先はほぼ尾根伝いに降りました。特に道があるわけでもないのですが、文句のつけようのない尾根でした。登りにも良いと思います。最後は貯水タンクと神様のいない祠を過ぎて、柳に降り立ちました。

林道を反対方向に歩いていたらどうなっていたか、よく分かりません。航空写真で見る限りは林道はすぐに終わっていますが、その先に柳に降りる道があるのかも知れません。しかし東に歩いたお陰で柳三角点からの素晴らしい眺望に出会えました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「大屋市場」です。

2015年5月3日日曜日

大屋町の若杉三角点

「それって、どこ?」と聞かれると答えにくいのですが、藤無山や銅山の北の方の山だと思って下さい。国道29号線から大屋スキー場の方へ曲がって、そのまま東に走り、大屋町若杉の大谷集落から林道を登りました。尾根の先は伐採されています。林道が尾根の先端で二つに分かれている付近で尾根に上がる道を探しました。非常に急斜面の植林で、作業道も見当たりません。結局は斜面を斜めに無理やり登りました。植林で足元は割りとしっかりしているため、なんとか尾根に出られました。ここからはひたすら尾根を登りました。勾配はずっときついのですが、たいした障害物や薮は無いので、気持ちよく登れました。特に700m+付近からの尾根は広く、爽快な空間でした(写真)。810m+まで登るとアセビの薮になり、共同アンテナの残骸がありました。薮を抜けると再び広々とした尾根で、登り始めてから1時間20分ほどで848mピークに着きました。

ここからは北に向けて縦走したのですが、複雑な地形で何度も方向を間違いそうになりました。地形図を見ても、一見してどう歩いたら縦走できるのか分からないくらいです。周囲は植林が多いのですが、コナラの林もあって、新緑が綺麗でした。細尾根が何ヶ所かありましたが、アセビが邪魔なことが多かったような気がします。それでもほとんどは木の間隔が広い気持ちの良い尾根でした。

若杉三等三角点(762.33m)の周囲にはアセビが生えていますが、植林地帯です。三角点の方向に下山したら、間違った方向に行ってしまい、戻りました。正しい方向にはピンクのマーキングがあります。やや急な斜面もあります。植林を抜けて、平坦地に出ました。この付近は地形図では畑のマークが描いてあります。実際には植林ですが、段々に土地が整えられており、かつては畑(または隠し田)だったのでしょう。平坦地の先にある栗ノ下四等三角点(431.73m)を見てから、植林の斜面を下りました。尾根沿いに降りたのですが、地形図では西側の谷に破線道がありますが、この谷は倒木だらけです。地形図の栗下から登ってくる破線道は途中まではあって、作業小屋の付近で終わっているようでした。この付近で谷に降りて、墓地の裏に出て来ました。

ひろびろとした尾根が多く、とても気持ち良く歩けました。下草が無いので歩きやすくて良いのですが、アセビばかりになるのは鹿の食害でしょう。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は[戸倉峠」です。

2015年5月2日土曜日

建屋の伊月山

養父市の建屋川沿い、長野に齋神社という神社があり、その裏山が伊月山です。ただし今回は西の建屋の野谷から楯縫神社に向かい、そこから登りました。楯縫神社までは舗装道路がありますが、伊月山へ向かうには神社の手前で橋を渡ります。林道長野奥山線に入って、すぐに分岐があるのでここに車をとめました。この分岐の間の尾根が伊月山に連なっているので、ここから登り始めました。地形図からわかっていたことですが、急な登りが続きます。しかし木に掴まるような勾配ではなく、障害物もありません。40分ほど自然林をひたすら登り続けて、伊月山三等三角点(541.05m)に着きました。周囲は藪で、展望はありませんが、登ってくる途中では北や南の山が見えました。

三角点からは縦走です。自然林から植林が増えてきます。時々灌木が茂っていて枝を押しのけて歩く必要がありましたが、歩きづらいというわけではありません。マーキングはほとんどなく、迷い易い場所もありますが、基本的には自然に歩いていれば縦走できました。516mピークの手前の490m+ピークへの登りは急勾配で、さらに706mピークへの登りも地形図どうりに急斜面でした。しかし障害物がなく、歩くのは楽でした。

706mピークが今日の最高地点で、ここからは西へ尾根沿いに下山しました。この尾根は登ってきた尾根にもまして歩きやすく、ところどころに国土調査のテープや杭がありました。自然林と、手入れの悪い植林が続きます。特筆すべき事と言えば途中でヘビ(ジムグリ?)を踏みそうになってことくらいで、気持よく尾根を下って行きました。最後はまっすぐに降りると川に降りそうだったので途中で南の尾根に曲がって楯縫神社を目指しました。こちらの尾根も問題なく歩けたのですが、385mピークの手前に祠がありました(写真)。灯籠には亨保6年と書かれており、意外と古いものです。周囲は細長い平坦地で、他にも文字が刻んであると思われる石もや手水らしきものもあり、かつては大きな神社があったのかも知れません。この先はやや灌木が密集する場所もありますが、そのうちに深い溝が尾根に掘られており、これを降りて行くと最後は結界を示す注連縄をくぐって楯縫神社に降り立ちました。

4時間弱の行程で、ひたすら林の中を歩きました。歩きやすいコースでしたが、展望はほとんどありませんし、変化が無いので退屈だと思われる向きも多いことでしょう。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「但馬竹田」です。