2016年4月24日日曜日

書写山の北斜面

2008/12/28に書写山の北西の斜面を降りましたが、かなりひどい目に会いました。その経験から書写山の北側は鬼門としていたのですが、もっと東の方はどうなっているのか好奇心が湧いてきて、今回はまっすぐ北に尾根を歩いてみました。登りは降りてからを考えて書写吹からにしました。日曜日だというのに誰にも会いません。山の上に出てからは、いつもとちょっとルートを外れて南に歩きました。荒れていますが、可愛らしい銀竜草が生えていました。それに、江戸時代の墓地がありました。この山の僧侶たちの墓でしょう。最後はゴミが増えたと思ったら、壽量院の辺りに出てきました。

目的の北の尾根は、摩尼殿から白山権現に登る途中の「森の住人たち」の説明書きがある付近からとなります。明らかに以前は道があったようですが、今は倒木が多く歩きにくくなっています。しばらく降りると、ここにも江戸時代の墓がありました。こちらは18世紀のものです。この付近には瓦も落ちており、以前は建物があったようです。印象としては、東寄りに谷に降りる道があるようでした。ただしそちらに降りると養鶏場に入ってしまう可能性があるので、そちらには行かずに北にまっすぐ尾根を降りました。297m地点付近には大きな岩がありますが、岩場はありません。その先はシダが増えて歩きにくくなりますが、シダの間に踏み跡が残っています。最後は左手の谷に降りました。これはイチかバチかの賭けでしたが、シダ藪に踏み跡があり、なるべく斜面を通るようにして降りて行くと、なんとか無事に水の流れている谷に降りられました。

谷に降りても道はなく、ガレ岩と落ち葉と倒木の上を歩いて行きました。すると、壊れかけた祠のようなものがありました。よく見ると仏教関係のものがいろいろありましたが、なんとも説明しがたい物がほとんどでした。「南無妙法蓮華経」と書かれた岩もありますが、「松崎大神」とか「書写吹大神」となると、何のことだか分かりません。だいたいは昭和40年台に作られたもののようです。祠もありますが、その前には竜が玉を持っており、鳥居もあります。祠の下には小屋があり、毛布などが散乱しており周囲はゴミだらけです。ただ、酒の紙パックには新しい物もありました。小屋があるくらいなので道があるかと思えばそうでもありません。この付近は水流が岩をナメて流れ降りており、それに沿って降りるのは大変でした。むかし道があっても、今は倒木もあり落ち葉も積もっており、岩には苔がむしています。しかしこの急流の岩場は見もので、なんとか下に降りて見上げると滝と呼んでもよいようなものでした(写真)。これは環境を整備すれば書写山の呼び物の一つになりそうです。が、この後も道はなくて、岩の上を歩いて流れを横切ったりしましたが、滑りやすくて危険でした。そして、堰堤に出てきて、そこからはちゃんとした道になりました。養鶏場の匂いを我慢して書写吹に戻りました。

人工物の全く無い山の中も良いものですが、山の中で思わず人工物に出会うのも楽しいものです。しかしそれにしても、この祠は謎でした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「姫路北部」です。

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