2016年7月23日土曜日

若桜鬼ヶ城から三倉富士と弁天山

若桜鬼ヶ城は戦国時代のお城で、領主や詳しい戦歴は分かっていないようですが、江戸時代に廃城となっています。しかし石垣はかなり残っているようなので、見に行きました。

登山口は八幡広場というゲートボール場にあります。標識があるので分かりやすく、道も整備されています。展望台とか遺構とかがあって、整備されたハイキングコースとなっています。途中で三の丸経由と六角石垣経由に道が分かれます。三の丸経由は、鹿避け柵を通ると大きな草が生えて藪っぽくなりました。それでも崩れた石垣の下を周って三の丸に着きました。ここからは若桜の街がよく見えます。さらに登ると広い二の丸があって、その上に本丸跡があります。ここからは東方の氷ノ山と戸倉峠が見えて、確かに交通の要所だということが分かります。鬼山四等三角点(446.00m)もここにありました。二の丸から西側を周って馬場(駐車場)の方に行く道には城壁が多く残っていました。

馬場には未舗装ですが整備された道が登ってきています。その端に「三倉富士登山道」の標識があります。ここから植林の斜面を登りました。携帯の通信塔を左手に見ながら急登に入りました。長い登りですが、整備されているので下草や倒木の問題はありません。トラロープの張ってある斜面を登った中代山三等三角点(778.52m)には、三角点の表示と右向きの矢印の書いてある板が下がっていました。本当の三角点は別の所にあるのかと思ったのですが、そういう意味ではなく、三倉富士への登山道がさらに続いているという意味のようでした。じっさい三倉富士へは、さらに尾根を歩いて、最後に急登があって、ようやくたどり着くことができました。949mの山頂は藪っぽいのですが、東方に展望があります。

最初は三倉富士で下山しようと思っていたのですが、適当な下山道もなさそうなので、そのまま西に尾根を歩くことにしました。こちらにも整備された道があります。尾根の途中に三倉富士と弁天山への分岐の標識があったのですが、後で考えるとここは弁天谷川から登ってくる登山道が尾根に上がる地点のようです。この尾根は大きなブナなどの木が多く、植林も美しく道も整備されているのでお勧めのハイキングコースです。そして弁天山(1017m)に着きましたが、ここも広い山頂に大きなブナの木が生えていて、貴重な場所だと思います(写真)。小さな祠がありました。このご神体は大きなトチの木のようですが、水のない山頂に弁天様というのも不思議です。もちろんこれは、この後に訪れた若桜弁財天にちなんだものでしょう。

下山は表示に従って北の尾根に向かいました。「周回(沢)コース」という札がかかっていました。この尾根は特に798m地点から下は地形図で見ると急斜面で、実際にそうなのですが、ここは植林でトラロープもあり、道がジグザグに付けられていました。この登山道はマーキングは少なめですが道がしっかり整備されていて迷うことはありませんでした。そのまま尾根を下るのではなく、谷に降りて行きました。降りた谷は地形図で弁天谷川として描かれている谷ではありません。この小さな谷には小さな滝がいくつもありますが、それを見ながら下って行くと、弁財天への分岐があります。弁財天の方へ行くと尾根の裾を周って弁天谷川にある若桜弁財天(正式には江ノ島神社らしい。江ノ島神社は弁天様です。)に出ました。ご神体は神社の背後の大岩のようですが、急流の脇に作られた不思議な神社です。カエルや蛇という、いわゆる眷属神の置物あって、書写山の北側にあった祠(2016/4/24)を思い起こしました。しかし神社としてはしっかりしていて、狛犬もいます。長い階段と2つの赤い弁天橋を降りると、舗装道路に出ました。ここに「三倉富士・弁天山トレッキングコース」の案内板があって、謎が解けたような気がしました。ここから結構長い道のりを若桜まで降りました。途中は美しい植林ですが、もとは棚田だったようで、立派な石積みが残っています。

弁天山への縦走は予定外でしたが、後から考えると歩いたのは全部整備されたハイキングコースでした。道を整備された方々に感謝したいと思います。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「岩屋堂」です。

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