2016年3月26日土曜日

平福の仁方池と明神岳

この明神岳は、佐用の北にある宿場町平福の西側にある山です。平福から南に歩いて宗行まで行き、西に入りました。舗装道路の終わりまで行くとさらに細い道があり、その先には巨大な堰堤がありました。「峠谷川えん堤」で、平成24年竣工ですが、ここは兵庫県道524号才金宗行線が通っているはずの谷で、それをブロックするような形で砂防ダムが作られています。しかし堰堤の脇に道はあって、そのまま峠まで登ることができます。峠にはお堂があって、3体の石仏が置かれています。普通のお地蔵さんとは少し違うようで、右側が弘法大師だということは分かったのですが、他の2体については分かりません。左側のは亨保と彫られているようです。

山へはお堂の裏から登りました。この付近は笹が茂っていますが、歩くのにはさほど困りません。伐採地なので西側に眺めが良く、天文台も見えます。作業道が上がってきていますが、そちらには行かず北の山頂を目指しました。途中に農機具のようなものが捨てられていました。沼地もあって、かつては田んぼがあったかも知れません。笹の生えた斜面を登って、岩の転がっている広い山頂に出ました。少し北に行くと宗行四等三角点(336.35m)がありました。

次は西に斜面を降りて、さらに北に尾根を歩きました。この付近までは木が少なく笹が生えていましたが、徐々に木が増えて里山らしくなりました。倒木をまたいで歩いて行くと、道に出ました。これは地形図にもあります。明神岳への道標がありましたが、まずは溜池(仁方池というようです)の土手を歩きました。きれいな溜池です。その先は地形図では破線道が池の周りを一周していますが、実際には道はなく、木の間を歩いて再び道に出ました。さらに北に歩くと道は終わりますが、小径が続いていて明神岳への道標がありました。この小径はやや不明瞭ですが赤テープのマーキングがあり、迷わずに明神岳山頂に着きました。少し広めに伐採してあり、仁方山三等三角点(387.66m)があります(写真)。

明神岳からは少し小径を引き返し、間違わないように赤紐が張ってある場所を北に歩きました。この先は390m+ピークに上がってから北に降りるつもりだったのですが、作業道があったのでそれを使って降りることにしました。谷沿いにどんどん降りるのかと思うとそうでもなく、どこへ行くのかと思いましたが、無事に新田の峠付近に出てきました。

登山としては物足りない感じですが、ハイキングかピクニックだと思えば楽しめる山歩きでした。しかし、利神城は全く見えませんでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「佐用」です。

2016年3月25日金曜日

篠山の松尾山と白髪岳

篠山市の南西に位置する松尾山と白髪岳は、福知山線の駅から歩いて登山できるため、人気の高い登山コースのようです。準標準的なルートで登りました(が、下山はかなり変則的でした)。

登り口は南側の住山にしました。有料駐車場の手前の無料らしい空き地に車をとめて歩いて行くと、松尾山と白髪岳への分岐がありました。このすぐ先に松尾山の尾根の先があり、ここから登り始めました。標準的な登山ルートはさらに東に歩いて行くのですが、尾根を真っ直ぐに登りました。道がちゃんとあって問題なく登れました。かなりの急勾配なので、下りは落ち葉で滑りそうです。しかし、良い雰囲気でした。30分ほど登ると江戸時代のお墓だらけの所にでてきて、卵塔群と書いてありました。ここからまっすぐ松尾山山頂に登れますが、ちょっと寄り道して東にほぼ水平に歩いて高仙寺跡を見に行きました。建物の礎石が残っているだけで、ほぼ何もありませんが、卵塔の数を見るだけで大きなお寺だったのだろうと思われます。卵塔群まで戻って、急な登山道を松尾山まで登りました。途中に千年杉という大きな杉の木がありました。松尾山山頂(665m)は広く平らで、酒井城跡とも書いてありました。北に展望があるのですが、木が伸びてきて邪魔しています。

松尾山からは白髪岳へ向かいました。急な坂を降りると鐘掛の辻という場所にでてきました。ここは地形図にもありますが、篠山から住山への山越えの峠だったようです。その北の620m+ピークを西に巻いて、整備された尾根道を歩きました。この道は689mピークを東側で巻いて行ってしまいます。おそらく689mピークの頂上を通る道もあったと思いますが、素直に標識にしたがって白髪岳を目指しました。白髪岳の北側は非常に急峻で、ロープにつかまって登ることになりました。この道がなかったら、登るのは大変だろうと思います。白髪岳の山頂はほぼ360度に展望があり、篠山城や三田まで見えています。白髪岳二等三角点(721.50m)があるのも納得できます(写真)。

白髪岳からは南に降りました。こちらも岩場が多く、鎖やロープを使って降りました。途中で階段で下山する道が東側につけられていました。最初の予定では南の453mピークを通って下山するはずだったのですが、この付近で方向を勘違いして、南西に延びる尾根に行こうとしていました。なので、この階段の下山道は使わずに尾根の先へ歩いて行ったのですが、尾根の先は岩場で降りられません。しかし東側にロープがあったのでそれを伝って降りました。かなり怖かったのですが、なんとか降りられました。しかし降りてみたら階段道で、結局同じ下山道に出てしまいました。453mピークに行くにはこのまま降りていけば良かったのですが、また勘違いしてトラバースして南西の尾根に戻りました。これは意外と簡単で、マーキングもありました。南西に向かう尾根に出れば、あとは楽な下山となりました。途中で間違いに気が付きましたが、時すでに遅しで、戻るのは大変だったのでそのまま下山しました。楽な方向に下山すると、432mピークの方へは行かず、西の方に降りてしまいました。

道路に出たので、とりあえずは南の四斗谷の方向に歩き、途中の分岐で「篠山市林道 持越線」に入りました。ここから東の尾根を越えて住山に戻ろうとしたのですが、なかなか良い場所が見つかりません。結局川に腐りかけた材木の橋が掛けられている付近で(その橋は渡らずに)川を渡って、植林を抜けて尾根まで急勾配を上がりました。尾根には道があり、南に歩くとしばらくして尾根を横断する道があって、これで住山に降りました。

勘違いで下山は大回りしてしまいました。白髪岳は楽しめる山です。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「篠山」です。

2016年3月20日日曜日

池田氏墓所から神道山

日笠の地形図を見ると、「岡山藩主池田家墓所附津田永忠墓」と書いてある場所があります。長い単語で目立つので、この付近の山を歩いてみました。和意谷を走って池田氏墓所へ向かい、墓所専用駐車場に車を停めました。ここにはトイレと説明板と鳥居があります。ここから飛び石のある道が山に延びています。墓守が住んでいたであろう家があり、さらに登ると頭の良くなる(?)井戸があります。そして20分ほどで一の山と呼ばれる池田輝政の墓に着きました。この墓所の他の墓もそうですが、儒教風だそうで、古墳のような盛り土の前に名前の書いてある墓石が立っているだけです。戒名ではなく本名が書いてあるので分かりやすいのですが、源輝政となっていました。お侍さんは皆さん源氏の子孫になりたかったのでしょうか。二の山から五の山までは一の山の近くにあリます。その先をさらに登ると六の山があります。この付近の道はやや荒れ気味です。さらに七の山へは364mピークを越えますが、大きなシダが張り出していたりして、藪山歩きになります。七の山の墓も草が生い茂っていて、荒れ放題です。

墓所巡りはこのくらいにして364mピークに戻り、南に稜線沿いに歩き始めました。藪なのですが、なんとなく切り開きがあります。ちょっと歩くと草が茂って歩きにくい所もありますが、ほぼ切り開きを楽に歩けました。「山」と彫られた標石がところどころにあり、これに沿って道が付けられているようです。少し下って、三角点に登り返す手前の鞍部では道が尾根を横切っていました。そして官林三等三角点(390.12m)があり、道を辿って本ノ峠(地形図では峠に「たわ」と振りがながふってあります)に降りました。ここにはしっかりした道があって、明治11年ののお地蔵さんがあります(写真)。ここからさらに西に道を登って、350m+ピークを経由して神道山に登りました。道は山の東側を行くので、ちょっと藪に入って山頂を探しに行きましたが、平らな藪でどこが山頂か分からずに帰って来ました。さらに道を歩いて南に進みました。368mピークの東側を過ぎて、少し藪っぽくなった道を歩いて備前市と和気市の境の尾根に出ました。この尾根で下山する予定だったのですが、道はさらに南に行くので、少し行き過ぎてから尾根に乗りました。尾根上を西に歩きましたが、シダが茂っていてくたびれました。いい加減にシダとの戦いが嫌になってきた頃に、一本の木が立っている空き地があり、ここから非常に急な道が北斜面に作られていました。あとはこの林道で下山しましたが、分岐が多くてどちらに行ったら良いのか迷う場所もありました。しかし、この付近はシダが茂っており、林道がなければ下山には苦労したでしょう。降りた所は私有地で立ち入り禁止となっていました。

津田永忠の墓を探していたのですが、実はここにはなく、和気市の奴久谷にあるようです。地形図の書き方は紛らわしいと思います。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「日笠」です。

2016年3月12日土曜日

篠山市のトンガリ山

トンガリ山という山は日本中にあります。おそらく篠山市に限定しても、いくつかあるのではないでしょうか。このトンガリ山は、西寺山の北、黒石ダムの南東に位置する山です。トンガリというのは、おそらく南東の今田町四斗谷から見た時に尖って見えるのではないかと思います。

今回は西の今田町黒石から登り始めました。住吉神社(この辺りは住吉神社だらけですが)を見て、その脇にあった害獣避けの金網のドアを抜けて山に入り、北に歩いて川を渡りました。こんなことをしなくても林道の北には林道があります。なんとこれは県道292号下立杭柏原線なのですが、未舗装すれ違い不可です。林道から北に斜面を登りました。急斜面ですが木の間隔は広いので、登るのは難しくありません。途中で作業道らしい切り開きがあり、さらに楽に登れました。少し登ると金属プレートの黒石谷四等三角点(463.09m)がありました。ここからさらに登りです。気楽な尾根歩きで528m地点を過ぎると、笹薮に突入しました。背丈より高い笹ですが、道があるので問題はありません。標高570m程度のピークを過ぎて、南東にいったん少し降りて登り返すと、二つ目のピークが標高620mのトンガリ山となります。小さな祠(の残骸)がありました。展望は素晴らしく、北から東方面、そして南西も見えます。目立って高い山が無いのが残念ですが、近くの西光寺山や白髪山はもちろんよく見えました。

トンガリ山からは北西に引き返し、さらに北に尾根を歩きました。ここまでよりもさらに歩き易い尾根でした。570mピークを過ぎると植林が増えてきました。そして最初の580m+ピークは岩山で、道は巻いていきますが、引き返して南を見ると、トンガリ山が見えました(写真)。その次の580m+ピークも道は東側を巻いて行きます。ここは戻っても展望はありません。そしてその先にはピンクの荷造り紐が張ってあり、607mピークには行くなという感じでしたが、これが松茸山だからなのかハイキングで迷わないためなのか分からなかったので、まっすぐ607mピークに行き、そのまま南西に尾根を下山しました。だいたいは歩き易い尾根でしたが、544mピークの西側は一番延びた尾根に乗るのに少し苦労しました。最後は笹藪となり、黒石配水場に出ました。害獣避けの金網に沿って歩いて、道路脇に扉を見つけて、無事に出ることができました。ここは尾根から南に林道に降りるのが正解だったと思います。最初も最後も林道を活用できなかった山歩きでした。

展望 ★★☆
藪山度 ☆☆☆
地形図は「谷川」です。

2016年3月5日土曜日

播州清水寺

西国第25番札所の清水寺は、加東市の御嶽山にあります。自動車でもあがれますが、入口に車を停めて徒歩登山道で登りました。入山料500円を節約できます。よく整備された道ですが、地形図とは違うルートのようです。歴史のある寺の割には途中に見るものは少なく、稚児岩という赤松氏範が子供と別れたと言われる岩があるだけでした。最後は石段を登り、狛犬の間を通って清水寺に着きました。創建は古いのですが、大正時代の火災のため建物は今世紀のものがほとんどです。木が多く、展望がないのが意外でした。

清水寺を見終わってから、ちょっと山を歩こうと思いました。まず登ってきた階段を降りて、「右 法華山道」という大きな石があるところから北に歩きました。ここは次の札所である一乗寺への道となっていますが、一乗寺に行くのに北へ歩くというのは不思議です。他にも「ほっけ山」という標石もあったので間違いないと思いますが、昔は別の下山道があったのかも知れません。今は北に歩くと林道となり、途中に倒木があって歩けなくなりますが、抜け道があって444mピークへ行けます。ここは墓地で、江戸時代からの墓石が並んでいます。

ここからは西の尾根を歩きました。墓地の外れから尾根に降りました。最初は道があるようでしたが、じきに消えてしまいました。藪で、だんだん木が密集してきます。410m+ピークは岩があって清水寺にはなかった展望が得られました。この先は岩場がいくつかあって、北(写真)や南(ゴルフ場)が見えますが、あまり印象的な景色ではありません。「大通産」という標石がありました。尾根にはかつては道があったようですが、灌木の枝が横に伸びているので進むのは楽ではありません。標高400mから350mに西に降りる付近は急斜面の藪で岩もあるので、降りるのに苦労しました。あとで下から見上げると、この山の南側は岩盤の絶壁で、そういえば灌木も岩の上に生えるような種類の木でした。

枝をかき分けて340m+ピークに来ると、作業道のようなものがありました。この先はまっすぐ西に降りて、地形図の破線道のある鞍部に出て、さらにその先の尾根を歩こうと思っていたのですが、藪に疲れ果てていたので作業道の向かう南の尾根に進みました。作業道自身はすぐに消えてしまいましたが、低くシダの生えている尾根で、割と楽に降りられました。尾根の南端には送電線の鉄塔がありますが、この日は人が登って工事をしていたので、西寄りの尾根を降りました。シダをかき分ける場所もありましたが、いちおう道らしきものが残っていました。最後は送電線の巡視路に出たので、それを使って谷に降りました。谷にははっきりした道はありません。水のほとんどない、えぐられた川に沿って降りて、堰堤を二つ過ぎ(西側を通るのが正解)、鴨川小学校の裏に出ました。

歴史のある寺ですし、合戦もあったことですから、この尾根を歩いた人たちもいたことでしょう。しかし今は藪としか言いようがありません。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「比延」です。