2016年9月27日火曜日

暁晴山から北東の尾根

暁晴山の周囲の山は何度か歩いていますが、今回は北東に延びる尾根を歩きました。まずホテルリラクシアの前からキャンプ場の方に向かう道を歩き始めました。今日はゲートが開いていました。暁晴山の頂上までは舗装道路なので、ひたすら登るだけです。ただし山頂に向かう道は途中にゲートがあって、閉まっていました。ですから車で山頂には行けません。山頂は霧が出て、展望はありませんでした。山頂には建設省、兵庫県、関西電力の他、謎の通信棟が立っています。暁晴山一等三角点(1077.11m)があります。

山頂から目指す尾根へは「山笑う登山口」という道標に従いました。この登山口は後で調べると森林基幹道峰山線にある「山笑の碑」を指すのですが、知らないと訳が分かりません。とにかく道があるのは良いことで、ほぼ宍粟市と神河町の境を降りて行きます。最初はススキだらけですが、途中からはコナラなどの自然林で良い感じです。道を外れるとススキが盛大に茂っており、そちらには踏み込まないのが正解と見ました。雨の後でジメジメしていましたが、落ち葉を踏んで広い尾根を降りて行くと、林道に出ました。標高980m付近で尾根を横切っています。林道を北に歩くと、951m鞍部付近で「山笑う登山口」への道標が北西を向いていました。つまり、森林基幹道峰山線に降りる方向で、ススキの原っぱの間に道がありました。

林道はさらに北に向かってから峰山線に降りて行っていましたが、途中に山に登っていく分岐がありました。目指す方向と合っていたので歩いてみましたが、すぐに終点になりました。そこで少し戻ってから植林の中を登りました。尾根に出ると、シダとアセビが茂っています。シダと言っても膝くらいまでの高さがあり、枯れている部分も多いのですが、地面が見えないのは同じです。歩きにくいのを我慢して尾根の少し北側の植林寄りを北に歩くと、地形図にある土塁に出ました。むかし馬を飼うために作ったと言われる土塁は、この地域では珍しくありませんが、これはその中でもしっかり残っているものです(写真)。土塁の南は植林、北は谷でシダ等が茂っており、植生の違いが目立ちます。少し土塁に沿って西に歩いてみましたが、藪っぽくなったので引き返して、さらに尾根を歩きました。相変わらず藪ですが、気がつくと尾根の西側に土塁がありました。土塁沿いだと歩きやすい場所もありますが、土塁が藪で囲まれている場所もあります。うんざりしていると、木に「26.6.23 ハイキング道調査」という札がくくりつけられていました。この尾根をハイキング道にするには、かなりの労力が必要でしょう。1054mピークは少し開けていますが、枯れ気味のシダや背の高い草が茂っています。この先も土塁沿いに歩きましたが、西側は比較的森っぽいのでそちらに少し降りて歩くのが楽でした。土塁はそのまま東寄りの尾根の方に降りて行きましたが、藪っぽいのでそちらには行かず、林の中を北に降りて、峰山線に出ました。

ここからは峰山線を東に下っていくと、「峰山大スギ駅」で先程の土塁に再開しました。そのまま峰山線を歩いて、ハイキングコースとの合流点に着きました。「峰山口駅」という場所です。砥峰高原へのハイキングコースはここから東は峰山線を歩くことになっています。そちらには行かず、峰山方面にハイキングコースを歩きました。よく整備された道です。すぐに峰山四等三角点(1037.88m)がコースの北側にあります。札が下がっていなかったら見つけられないようなシダの中です。この付近は先程の土塁が北側を通っています。このあと、木の生えていない場所に出たと思ったら、どうやらこれはホテルから見える防火帯のようです。これを横切って北にトラバースして行くと、先程の「峰山大スギ駅」の南に出てきました。峰山線とハイキングコースの間に土塁が走っています。ここからは長い森の中のハイキングとなりました。雨の後で水が多かったせいか、あちこちで道路が沼化しており、丸太で作った橋は滑りやすく、気を遣いました。途中で土塁が斜面を横切りましたが、これは地形図にある土塁の続きのようでした。また、「山笑う登山口」への道標もあり、これは951m鞍部に向かう道のようでした。最後はグラウンドに出てきて、最初に登った舗装道路を降りてホテルに帰りました。防火帯から見るとホテルはすぐそこですが、大回りして歩くと結構時間がかかりました。

整備されている道以外は藪っぽい地域のようです。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「長谷」です。

2016年9月17日土曜日

岡山・鳥取県境の志戸坂峠

岡山県と鳥取県の県境の尾根は、林道が多くて気が乗らなかったのですが、ちょっと長い尾根で県境まで登ってみることにしました。出発点は西粟倉村の影石です。あわくら温泉駅の近くの、国民宿舎の北の尾根先から登り始めました。急斜面の自然林をちょっと登ると植林になりました。小さな石の祠(中は何もなし)があって、里山の雰囲気です。植林を上り詰めると、坂根四等三角点(560.02m)がありました。その先は倒木地帯ですが切ってあるので大丈夫です。さらに西に行くと穴ぼこが4つあって、おそらくかつてここに鉄塔か何かがあったのだと思います。その西には、舗装された林道が尾根を横切っていました。この林道は、鳥取道と智頭急行が吉野川を渡って交差する付近から来ているものです。少し林道を歩くと、まず左に未舗装の荒々しく作られた林道への分岐があります。ここからは尾根に上がって尾根を歩きましたが、すぐ先でまた舗装林道が二又に分かれ、一方は尾根を西に横切っていました。この先も林道は無視して尾根を登りました。植林が多く、ネットも張られており、角が絡まった鹿の白骨もありました。標高750m付近で次の林道が尾根を横切りますが、これはかなり古いものです。無視して藪っぽい尾根を上がると、すぐに林道が曲がって来て、また尾根を横切りました。もう100mほど藪っぽい尾根を登ると、さらに古そうな草の生えた林道が尾根を横切りました。そして、最後にちょっと登れば県境の尾根です。志戸坂四等三角点(910.69m)がありましたが、付近は霧に覆われていました(写真)。

ここからは県境の尾根を志戸坂峠へ歩きました。シダなどが生えている所もありますが、藪というような所はありません。志戸坂峠から登ってくる時にはあまり悩まないと思うのですが、下山では迷い易い地点が多く、何度も方向を確認しました。この尾根にも、鉄塔を基礎のコンクリートごと撤去したような穴がありました。最後は志戸坂峠ですが、地形図で見てもえらく急斜面です。なるべく県境に沿って降りましたが、最後は水が流れており、それに沿って降りて行きました。降りた地点は県境のちょっと北側で、流れてきた水は鳥取側に行っています。県境の付近は木の階段が作られていました。道路の作りから見ると、以前は軽トラック程度なら通れたと思うのですが、階段があるので今は崩れてきた岩などを除去しても車は通れません。地形図で見たときは深い切通しだと思ったのですが、切通しを作る前から深い谷だったようです。峠までは明治に作られたしっかりした道があり、1100mでトイレのある駐車場に出ました。ここのすぐ東側には展望台となっている東屋がありますが、まったく展望はありません。この付近には「馬のお灸場」という看板が立っています。駐車場の前は舗装された旧道ですが、北にちょっと歩くと金網で蓋をされた旧志戸坂峠トンネルがあります。現在はシイタケを栽培しているようでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「坂根」です。

2016年9月10日土曜日

岡山県西粟倉村の知社三角点

情報の少ない山ですが、ツヅラ山の北の山、塩谷川の南の山です。航空写真で見ると林道の多い山ですが、詳細は分からないのでとにかく筏津の尾根先から登ることにしました。川を挟んで王子社がある所です。携帯のアンテナの脇の道から尾根に上がり、そのまま真っ直ぐに標高差200m近く植林を登ると、490m+のピークに上がれました。ここからネット沿いに藪っぽい尾根を歩くと、507mピークは植林です。少し北に降りると、林道が尾根を横切っていました。さらにあまり勾配はありませんが藪っぽい尾根を歩くと、湯船四等三角点(458.09m)が地面から5cmほど出ていました。この地点は東側に展望がありますが、藪です。この後も、やや藪っぽい尾根で、500mピークは東側を少し巻き、降りて登って520m+を過ぎると東側に林道が見えてきました。地形図の谷の林道ではなく、尾根のすぐ下を走る林道です。この林道はその先で尾根を横切りますが、ここは尾根の両側を道が走っているので、切通はH型になっています。深い切通なので苦労して降りてまた尾根に登り、少し歩くとまた東からにに林道が尾根を横切っています。ここも深い切通です。ここは東側の谷を登り、尾根に戻って斜面を登ると、また林道がありました。これは新しいもので、東から登ってきており、尾根の両側を北に延びています。ちょっと林道を歩いてから尾根に登り、真っ直ぐに少し藪っぽい自然林の斜面を真っ直ぐに登ると、東西に走る主尾根に出ました。ここは西から延びて来た林道の終点です。この林道は主尾根の北側少し降りた所に作られていますが、尾根も歩きやすい植林です。西に歩くと760m+ピークには高いアンテナがあります。真っ直ぐのアンテナで、三方向から5本ずつのワイヤーロープで固定されています(写真)。何の標識もありません。下に太陽電池パネルの付いた箱があり、DoCoMoシールが貼ってありますが、これはこの箱のシールで、アンテナそのものとは違うかも知れません。知社三等三角点(768.47m)は、アンテナの南のピークで木に囲まれています。アンテナの保守用と思われる道路があり、車で上がって来れそうです。

三角点からは更に尾根を西に歩きました。すると、良く整備された林道が尾根を横切っていました。場所から考えて、北は2016/08/16に木地山に登った時に起点にした谷から延びて来ているようです。ここから南に林道を歩いて知社に下山しました。よく整備された道です。途中からは地形図に描かれている林道となり、舗装もされていました。分岐は多くて、手入れされている山だということがよく分かりました。

特に珍しい物があるわけではありませんが、林道が多くて退屈しない登山でした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「古町」「坂根」です。

2016年9月1日木曜日

丹波のクロイシ山と五台山

氷上町の加古川の東側の山並みは日本分水嶺です。これまでにも何回か歩いていますが、今回はこれまで歩いたことのない五台山の北を歩きました。登り口は氷上町鴨内で、村の北側の墓地にしました。芦田家と宮垣家の墓ばかりの墓地ですが、17世紀の墓石もありました。山は金網で囲まれていますが、墓地の裏に扉があって、そこから植林に入りました。作業道の痕跡を見つけながら急斜面を登ると、尾根に上がれました。地形図ではこの付近には送電線が描かれていますが、撤去されて基礎の跡だけがありました。

やや急な尾根道が続きますが、特に歩きにくい場所はありません。279mピークに登って降りて、次の鞍部には芹田神社から登ってくる道があるようです。そのまままた登りで、366mピークを過ぎると少し藪っぽくなりますが、それを抜ければまた歩きやすい尾根で、東芦田四等三角点(450.08m)に着きました。周囲は伐採されていますが、展望はありません。この付近から測量が行われたらしく、東と書かれた番号の振ってある標石の脇に紅白の棒が立っている所がたくさんありました。511mピークで別の尾根と合流して東に歩くと、左が瑞雲寺、右がくろいし山と五台山という道標が倒れていました。これは「東芦田まちおこし協議会」が立てたものです。さらに東に歩くと地形図では尾根を破線道が横切っていますが、特に道には気付きませんでした。そして日本分水嶺の530m+ピークに登り、北に少し歩くとクロイシ山の山頂です(写真)。曼田良四等三角点(555.82m)があります。ここは親不知への分岐点でもあります。大柿さんの10年以上前の赤札が2枚下がっていました。

クロイシ山からは南に戻って、道を歩いて(いったん東の尾根に行きそうになりますが、ちゃんと巻いて南に戻ります)鴨内峠に降りました。ベンチもあり、道標もたくさんあります。峠越えの道も整備されています。重要な情報としては「松茸山のため9月20日から11月14日まで立入禁止」と「市島町側に下山されても公共交通機関はありません(タクシーの電話番号付き)」でしょう。ここから五台山まではよく整備された登山道で、木に名札がついているので勉強になります。五台山山頂には展望デッキや文殊菩薩像、それに尾ノ寺山二等三角点(654.55m)があります。この尾ノ寺山という名前が問題のようで、小野寺山はこの南のピークのようです。前回(2015/12/29)来た時には吹雪いていて展望が全く無かったのですが、今回は少し靄がかかっていたものの遠くまで見渡せました。

下山は登山道を戻って、「伊佐口」の方向に歩きました。道とは言えませんがマーキングがあります。こちらは前回登ってきた方向です。植林の急斜面を降りて、前回とは違う北寄りの尾根を降りました。マーキングがありますが、これは境界明確化の杭の場所のようです。しかしそれでも迷いそうな場所では助かりました。475mの藪っぽいピークを過ぎて、少し降りるとちょっと伐採されていて、「図根三角」の黄色い杭がありました。そのまま西に降りて行くと、地形図で破線道のある250m+の鞍部に出ました。この先も尾根は続きますが、急斜面の登りなのでちょっとめげて、北に降りることにしました。しかし道は南の谷にはあるようでしたが、北にはなくて、適当に植林の中を降りました。麓近くには江戸時代の墓地の残骸があり、最後は金網に扉を見つけて鴨内の村に戻りました。

気持よく歩ける山道でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「黒井」です。