2017年12月10日日曜日

恋山形駅から登る穗見山

穗見山には2017/8/11に登りましたが、その時の経験から恋山形駅近くから登るのが楽そうでした。そこで今回は駅の裏手の林道から登りました。未舗装のつづら折りの林道を登ると、期待どうりに支尾根の真ん中で終わっていました。ここからは植林を登ります。いわば尾根の一本道で、ひらすら登っていくだけです。

しばらく登ると北の方から林道が尾根まで来て戻って行きました。尾根を南に横切る林道はこの付近にはありません。しかしさらに植林を登っていくと、標高700m近くで林道が尾根を南北に横切っていました。「森林作業道大内ヒナタ下線」だそうで、平成28年度施工という新しい林道です。登り始めの付近では雪はまばらにしか目につかなかったのですが、この付近からは地面は雪で埋まっていました。雪を踏んで最後の急斜面を登って主尾根に出ました。南に少し歩くと穂見山の山頂です。穂見二等三角点(976.01m)も雪に埋まっていました(写真)。背景の木の向こうの山が那岐山でしょう。

下りは前回と同じ尾根にしました。10cmほどの雪が積もっている主尾根を北に降りていって、前回と同じに尾根を下りました。前回尾根を間違えた所は注意深く下りました。雪の上に熊の足跡があり、それを伝っていくと前回同様に小さな池に出ました。周囲は雪がありますが、水は凍っていませんでした。そのまま下って林道に出て、アンテナ群を抜けて降りましたが、林道が大きく迂回している所は前回と違って斜面のジグザグの林道を降りてみました。あまりにジグザグなので実際に歩く距離は変わらないと思いますが、ミツマタがもう花を咲かせる準備をしていました。最後は例によってピンクに染まった恋山形駅を見て帰りました。

雪で寒かったので急ぎ足で歩いたため、3時間もかからない登山でした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「坂根」です。

2017年12月2日土曜日

養父市の石禾城

これは養父市と朝来市の市境にある山です。山城の跡があると[1]にあったので登ってみました。起点は普通なら東側の和田山町にするでしょうが(養父駅が養父市の外れにあるのにびっくり!)、先日城山に登った時の土地勘(山勘?)があるので、西側の上野から谷に入って、滝谷神社から登りました。前回は神社の前の急斜面を登ったのですが、今回は少し西に戻って、もうすこしなだらかな枝尾根を登りました。とは言うものの同じだけの標高を登るのですし、途中は急斜面もあって、木に掴まって登るのは同じでした。ややなだらかな尾根まで上がると、前回同様にネットに沿って主尾根の390m+まで登りました。

主尾根を前回は西の城山へ歩きましたが、今回は南に歩きました。コナラを主体とした自然林の歩き易い尾根でした。枝の間からあちこちの山や村が見えますが、これは葉が落ちているからで、つまりは夏にはほとんど展望が無いということです。まずは470mピークに着きました。ちょっと広くて良い感じです。真っ直ぐ歩くと南に行ってしまうので、東に歩きました。コソガ谷四等三角点(449.13m)は山頂の外れにありますが、周囲はコナラの林で、落ち葉が心地よい場所でした。ここから尾根を下って行くと、北側に大きく尾根が削られた場所がありました。丸く斜面がえぐられているのですが、鉱山の跡でもなく、削られた斜面の下に大きな木が生えているので、最近えぐられたわけでもなさそうです。これに気を取られていると尾根を間違えますが、東に斜面を降りて、ひと登りすると395mピークでした。この付近にはかつて共同アンテナがあったのかも知れません。アンプのようなものが落ちていました。

この先はちょっと急斜面を登って460m+ピークに出ました。さらに藪っぽい鞍部に降りてから急登となり、頑張って登ると地籍図根三角点がありました。ここが主尾根です。主尾根を北に歩くと、アシビの生えた平坦地があって上野三等三角点(537.65m)がありました(写真)。ここが石禾城もしくは畑高城です。確かに北側周辺に平坦地が作られており、山城か何かがあったようですが、今は展望は全くありません。

城跡から北に降りると、次の520m+ピークが石禾上城だそうです。ちょっと見て城跡という印象はありません。しかし木々の間から円山川沿いが見えるので、見張り場所としては使えるかも知れません。石禾というのは、ここの東側を流れる川が石和川(イサワ川)で、この和の字の口を取ったようです。さらに北の鞍部に降りましたが、破線道らしき道はなく、北に登ると480m+ピークが石禾下城ということになります。ここにも地籍図根三角点がありました。この付近は松茸山のようで、荷造りテープが木に巻き付いていました。ここからは西向きに尾根を降りました。すぐに北に急斜面を降りれば410mピークを通って北の尾根に行けますが、どこを降りたらよいのか分からないのでそのまま西に尾根を降りました。こちらは特に文句を言うほどのことはなく、歩き易い尾根でした。だいたいは気持ち良く歩けましたが、最後に滝谷神社に向かって降りる所には溝のような道があるのですが、あまりに急斜面なので、少し北側に斜めに降りて行って、それから神社の方に斜面を降りました。

途中で尾根を間違えたりもしたので、5時間近くかかりました。標高はあまりありませんが、足に堪える山でした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「八鹿」です。

2017年11月25日土曜日

養父市の伊豆城址


城址
と言っても何も残っていませんが、北近畿豊岡自動車道の養父ICを出て、大屋川を少し遡った南西の山です。三角点名どうりだとすると、大谷山だそうです。

ちょっと大回りして登ろうと思って、登り口は南の建屋川沿いの山にしました。尾根は平坦で歩きたかったのですが、建屋川沿いを歩いて見上げると非常に急斜面です。そこで楽をすることに決めて、林道で登りました。家に目が行って見落としそうになりましたが、道路沿いの森の中から斜面をトラバースする形で林道があります。未舗装ですが、車でも登れそうでした。勾配を少なくするために非常に長く斜面を横切るので、とても長く歩かねばなりません。この林道には電柱があり、光ファイバーまで敷設してあるので、上に何かの施設があることは明らかでした。30分ほど歩くと、アンテナが3つありました。一つは「養父市防災行政無線大坪中継局」ですが、他の二つは名無しでした。NHKの杭があったので、おそらく一つはNHK、もう一つは携帯の基地局ででしょう。鞍部なので北の建屋川方面が見渡せます。

ここからは尾根歩きです。ちょっと登って337mに出てから南西に曲がりましたが、歩き易い尾根でした。この先ずっと、たまにアシビの藪がある程度で、落ち葉を踏んで歩ける気持ちの良い尾根でした。ただし平坦な尾根と言っても、それなりにアップダウンはあります。そして最初の三角点、ユウヤ四等三角点(422.51m)に着きました。山頂にあると思ってアシビの藪をさがしたのですが見つからず、焦って見回したら斜面に金属プレートの三角点がありました。

この先は細尾根を歩き、地形図では北側に広い平坦地が描かれています。実際にはこの手前で北側に林道がありました。林道を歩けば楽だろうなと思いつつ地形図からは思いもよらない急斜面を登りました。その上は確かに平坦地ですが、さほど広くはありません。植林で方向がよくわからず、うろうろしたあげくに北へ向かって歩きました。決して平らではありません。地形図で390m+の小さなピークを北に越えると、林道が尾根を東西に横切っていました。その北には兵隊さんの大きな墓石があり、さらに北に向かって墓石が点在していました。江戸時代から昭和40年くらいまでの墓ですが、ひどい荒れ様でした。墓石は重いので倒れていても起こすのは無理でした。

地形図の破線道の場所には道はなく、そのまま急斜面を登って気持ちの良い平坦地に上がりました。東の谷の向こうに大屋川下流の広谷付近まで見えます。その後もうひとつ急斜面を登って、再び平坦地に出ました。ちょっと西に歩いて斜面を登ると531mピークでした。ここで引き返して北東の尾根に降りていきましたが、自然林の美しい場所で、終わりかけの紅葉がきれいでした。鞍部から登りになると大きな岩が増えてきます。そしてだらだらと登っていくと、なんとなく土塁のような感じの山頂に出ました。特に東側には少し下がった所に平坦地があって、いかにも山城(というよりも砦)の跡という感じです。ここが伊豆城で、伊達氏の城だったそうです。アセビが生えていますが、その脇に大谷山四等三角点(500.65m)がありました(写真)。

山頂からは北にも尾根が伸びていますが、出発点になるべく近い方に降りようと思って、東の尾根を降りました。紅葉や大きな岩を楽しみながら降りられましたが、235mピークを過ぎて、北の方が楽そうに見えたので北の尾根に進みました。徐々に藪っぽくなりネットもあって、最後は竹藪に突っ込みそうだったので西側の谷に降りました。堰堤があり、この付近には石積みや墓石がありました。川沿いの道に出てから害獣避けの扉を通って外に出られました。降りた付近が伊豆という地名のようです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「八鹿」「関宮」です。

2017年11月23日木曜日

朝来の金梨山

朝来の竹田城は最近大人気で、中腹の駐車場に車で行けなくなってしまいました。竹田城撮影の絶好のポイントは川向かいの立雲峡と言われていますが、その北に金梨山という山があります。標高は竹田城や立雲峡よりも高く、竹田城までの距離も立雲峡よりも近いのですが、撮影ポイントとは言われていません。それは、この山に登るが大変だからだろうと思います。しかし山頂近くの岩場には金梨山大権現もあるということなので、登ってみました。

金梨山(かなしやま、きんりざん)の登山口は国道312号線に沿いです。信号から北に歩くと、川沿いに竹田城の模型(遥拝所?)がありますが、そのすぐ北の山側にプレハブの小屋があり、そこから入りました。一瞬道が無いという印象だったのですが、よく見ると左手に道がありました。北側斜面には石積みがあります。道は怪しくて、南側の畑っぽい所には入りたくなかったのでそのまま斜面を登ると、道に出ました。これは黒いプラ階段のある関電の巡視路で、登っていくと段々畑の跡地に奥多々良木出石線三一鉄塔が立っています。その手前に木の鳥居があって、「金梨山大権現」の道標がありました。ここからは支尾根に沿った登山道です。倒木があり、かなり荒れた印象ですが、倒木を切ってくれれば立派な登山道だと思います。かなりの急登が続きますが、標高350mを過ぎた付近で一息つけます。ちょっと登ると竹田城がよく見えます。歩き易くなった尾根を登っていくと、道標が倒れていました。ひょっとすると正しい登山道はここから右に曲がっていくのだったかも知れませんが、倒れている道標では方向は分からず、そのまま登り続けました。400m+で尾根に乗りますが、さらに急斜面を登って、山頂に着きました。金属プレートの金梨山四等三角点(464.39m)があります。山頂からは展望はありません。

登山はこれで終わりのはずですが、肝心の金梨山大権現はどこにあるのか分かりません。ネットの地図([1])を見ると山頂の南側の岩場の北にあるように見えるので、この付近の岩場を歩いてみました。大きな岩が多く、岩の上を歩くのはかなり危険です。岩の間に隙間があって、好きな方向に行けるとも限りません。少し歩き回ったのですが岩の下に降りなければだめだと判断して、一度尾根に戻りました。少し南に行って岩場の下の方に行くと、金梨山大権現に行く道がありました。大きな岩の隙間の洞窟に祠が置かれています(写真)。洞窟の奥に入って見上げると隙間だらけで、さっき上から覗いていたのがこの洞窟だと分かりました。洞窟の手前には竹田城の見える展望ポイントがあります。大権現への道を尾根に戻ると、450mよりも下の、大きな岩のある場所でした。しかしGPSで確認すると地形図の岩場の北側となります。この岩場に大権現があると勘違いすると迷います。

下山は尾根を南に歩きました。歩き易く、時々竹田城も見えます。軽快に歩いて409mピークまで来ました。ここからはどちらを向いても標高線の間隔は似たようなものなので、南に尾根っぽく見えた所を降りていきました。降りていくと尾根というより広い斜面という感じになりますが、足元は落ち葉で掴まれる木もあるので、特に苦労しないでも降りられました。最後は笹薮でしたが、その中に金網の扉を見つけて外に出ました。

標高差から言えば姫路の書写山に登る程度の山です。2時間ちょっとで歩き終わりました。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「但馬竹田」です。

2017年11月12日日曜日

宍粟市の道谷から登る道谷三角点

秋の音水湖付近の山はとても綺麗です。紅葉と植林のコントラストがバッチリで、どの山のどの部分が植林かよく分かります。山頂付近まで植林してある山は少ないようです。というような理由ではありませんが、宍粟市の北の外れの山を歩きました。起点は波賀町道谷です。廃校になった小学校の東に廃墟のようなお宮があります。祀ってあるのは弘法大師、不動明王、馬頭観音なので訳が分かりませんが、紅葉は抜群の美しさです。申し訳ない気持ちで赤い落ち葉を踏んで山道に入りました。右手の植林が気持ち良さそうだったので、かなりの急斜面でしたが作業道を探して登りました。ちょっと変わった地形で砂鉄を採取した跡かもしれません。木の少ない斜面を登って、とりあえず平らな所に出ると、紅葉が待っていました。ここからは紅葉の写真を撮りながら支尾根を登って行きました。コナラのドングリがたくさん落ちていましたが、食べ尽くしてしまうほどの熊はいないということでしょうか。

尾根に出て少し歩くと950mピークで、ここからは以前(2012/06/23)に歩いた尾根です。コナラの林から植林に入り、東に歩いて道谷四等三角点(926.26m)に出ました。周囲は伐採してありますが、シダと植林の枝の中に標石が埋もれていました。さらに植林を南東に歩くと、伐採地の上に出ました。ススキが茂っていますが、西の鹿伏から入ってくる谷が見渡せます。ここから1013mピークに登るまでは、ずっとこの谷が見えます。紅葉の美しい谷でした(写真)。特に北側の山は綺麗です。そういえばこの北側の尾根の先は鹿伏からのハイキングコースになっていました。次は1012mへの斜面を頑張って登りました。この付近は落ち葉と植林の枝が混ざって落ちており、歩くとフワフワです。気持ちの良い尾根を歩いていくと、葉の落ちたコナラの間に黄色や赤の紅葉が綺麗でした。ただ、標高が高いのでもう色の盛りは過ぎた感じでした。

992m地点を過ぎて少し登ると1050m+ピークに出ました。この付近も木が少なく、紅葉が楽しめます。ここからは東に下山しました。途中で以前(2015/08/29)に歩いた尾根だと気付きました。気持ちよく尾根を降りて行くと伐採地の上に出て、展望が開けます。目の前は藤無山ですが、南には公文川の下流に家が見えました。阿舎利四等三角点(982.51m)はススキの中です。ここからも更に北に尾根を降りましたが、西側の谷の紅葉が美しく、おかげで少し方向を間違えました。邪魔な木もあるのですが、斜面一杯に黄と赤が広がっています。京都の有名な庭園を見ているような気分になりましたが、都の貴族はこのような景色を再現したかったのかもしれません。最後は超急斜面の法面を降りて林道に出ました。

紅葉の美しさに圧倒されました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「戸倉峠」です。

2017年11月11日土曜日

養父市の城山

国土地理院の地形図を見ると、北近畿豊岡自動車道の養父インターチェンジの東に、城山という山があります。大徳山からよく見える山ですが、稲津城という城の跡のようです。今回は北側から登ってみました。

養父インターチェンジから大屋川沿いに下って、軽部橋から上野に入りました。県道271号の細い道を走っていき消防団の建物から北に曲がりました。このまま真っ直ぐに走ると林道滝谷線に入ります。ちょっと荒れ気味なので、林道の標識から右に曲がって南側の農道を走るほうが楽かも知れません。いずれにしても谷の奥の瀧谷神社に着きます。神社の前の斜面から登山を開始しました。地形図で見るよりずっと急峻な斜面で、木に掴まりながら登りました。標高差300m近くを登らねばなりませんが、ときどき平坦地があるので一息つけます。切り開きやマーキングはありませんが、木の間隔が広く落ち葉を踏んで登れました。この付近から見る城山はとんがっています。

頑張って登り切ると尾根に出ますが、ネットがあるのが曲者です。金網に張ったネットで、簡単には横切れません。たまに木が倒れたりして横切れる所もあるのですが、横切るべきかどうか悩みます。じっさい390m+ピークではネットは南方向に曲がるので、ネットの北を歩くのが正解となります。実際にはネットをまたげたので問題はなかったのですが。その後はいったん下りますが、少し藪っぽい落ち葉の尾根でした。350m+の小ピークのあと、またネットがあります。そして城山に登りますが、急斜面の灌木の間を抜けて登る必要がありました。岩が露出している所もあります。頑張って登り切ったのですが、ネットが西に曲がっており、ここでも行く手を阻まれました。幸いにもネットには開くような仕掛けが付いていました。

城山山頂は平坦地で、いかにも城跡(砦の跡)という感じでした(写真)。東側の下がった所にも平坦地があります。木々の間から北の方に展望がありました。下山は山頂から西に急斜面を降りました。392mピークまで行き、真っ直ぐ北に降りました。ここも踏み跡もマーキングもありませんが、たまに倒木が邪魔な程度で歩きやすい尾根でした。345mピークには「松茸山に付入山禁止 侵入者は警察に通報します」という立て札があってぎょっとしました。ここから南東に降りて、幅の広い270m+ピーク付近まで来て、さらに東に植林を降りました。これは正解で、さほど急峻な場所もなく、道路に出ることができました。

一周2時間半ほどで、北風は寒かったのですが、紅葉を楽しめました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「八鹿」です。

2017年11月4日土曜日

西脇市住吉町から登る高山と消防山

北の大樅峠から2015/01/24に登ったことのある高山ですが、今回は[1]を参考に南から登ってみました。登り口は住吉神社のある住吉町で、大通寺の隣に「すみよし桃源郷」という市民農園が作られています。その西側の林道を登りました。しばらく歩くと林道は終点になりますが、その先にも少し道があり、あとは木のまばらな岩の転がっている斜面となります。堰堤がいくつも作られているので、以前は道があったのかも知れませんが、今はほぼ藪です。いったん東の谷の堰堤(昭和60年度施行)を見てからトラバースして谷の奥に進みました。よく保存された炭焼き窯がありました。谷は伐採されていますが、自然林なので何のためなのか分かりません。伐採されていない斜面を選んで登ると徐々に勾配がきつくなり、木に掴まって登りました。一息つける場所に来ると、なんとなく神々しい(?)岩があってその前には作業道がありましたが、登っていく気配はないので枝尾根を登りました。登りはじめて1時間近くかかって、主尾根に出ました。道標が倒れてみたので起こしてみると、「←高山 地蔵の森公園→」となっていました。2015/01/24にも歩いていますが、高山へは登りで、トラロープがあるにしても道があるとは言えません。高山山頂には山名の杭と高山四等三角点(659.59m)があります。今回は木が切られていて、谷川方面の展望がありました。

高山から東に少し下ると展望が開けますが、南にとんがり山が本当にとんがって見えました。篠山方面も望めます。しかしこの付近は倒木が多く、かなりの藪となっています。2年間でかなり藪化が進んだ印象です。けやき峠への分岐をそのまま東に進んで、藪をこらえて591mピークに登りました。これは猿藪山という名前のようですが、地形図で見ても分かるように西側斜面は平面的な急斜面で、木が生えていないために扇を広げたような感じに見えます。天気はイマイチでしたが、西光寺山などが望めました(写真)。

591mピークからは東に降りましたが、これは藪の激下りで方向を確認しないと間違った方向に降りそうです。鞍部近くには最近倒れたと思われる大木がありました。コルは峠かも知れませんが、道は明瞭ではありません。この先は小さなピークが続きますが、ここにはいくつか大きな岩があります。三角おむすびのような形のもあって、パワーを感じました。尾根上に大岩がありますが、巻いて進めます。北側の谷は伐採が進んでいるように見えました。そして斜面を登って消防山四等三角点(542.08m)のあるピークに出ました。なぜ消防山なのかは分かりません。ここは迷いやすく、私は比延峠に降りるつもりだったのですが、それにはまず三角点から北に歩いてから東に降りる必要がありました。こちらの方向はピンクのマーキングがあり、踏み跡もありました。峠の近くまで来ると伐採地があるのですが、植林を伐採したという風でもなく、植えられているのも広葉樹で、意図が分かりません。このあと取り敢えず「昭和53年度保安林改良事業」という木の杭のある峠まで行きましたが、切通なので結局東に降りて、伐採地への道から峠に降りました。西に歩いても降りられたと思います。峠付近には文字の読めない石が建てられており、さらに西側には濫觴公園という水源を記念する公園がありました。あとは県道36号線を下って住吉に戻りました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「谷川」です。

2017年10月31日火曜日

天橋立を見下ろす宮の谷三角点

天橋立は船で水面から見ても綺麗ですが、山の上から全貌を見る方が印象的です。天橋立の南北の山の上にはリフトで上がれる展望台がありますが、他の眺めはないものかと南側の山に登ってみました。出発点は西寄りの桜山です。ここは江戸時代からある展望台のようですが、今は登る人も少なく荒れた感じです。しかし低いながらも天橋立が斜めに見渡せます。ここは第一展望所となっているので、第二を目指してさらに登りました。

ここからの道は地形図どうりですが、木の階段があるもののかなり荒れています。倒木を避けて道から外れないと歩けない場所もいくつかあり、観光というよりは登山向きの道です。標高は大したことはないので、すぐに宮の谷四等三角点(179.14m)に着きました。三角点はシダに埋まっていますし、展望はありません。なので、本投稿のタイトルの「天橋立を見下ろす」は実は嘘です。道はここからも東に向かって続いており、木の階段が整備されています。ちょっと下ると道標があり、来た方向が文殊、北は「元十一面観音堂 吉野神社方面」南は「須津方面」向かっている方向は「須津峠」です。このルートは「須津峠園地散策路」だそうです。肝心の天橋立は木立の間で見え隠れしていてイライラしましたが、道から外れて展望の得られる場所がありました。写真はここで撮影したものですが、リフトで登るビューランドからの展望と比べると斜めに見えているのが特徴です。

ここが第二展望所なのかどうかは、しっかり確認しなかったので分かりません。実はこの時はこの先の標高200m+ピークに展望台があると思っていたのです。しかしそのピークまで登っても周囲は藪っぽい林です。東向きには黄色い「この先通り抜けできません 京都府丹後土木事務所」という看板があって、道標は須津峠0.3kmを指しています。通り抜けできないというだけで進入禁止ではないので、もう少し東に歩きました。荒れてはいますが地形図どうりに道がありました。ビューランドの方向に降りていくとシダが茂っていて歩きにくくなりますが、道はあります。シダの間を北側に少し出れば、ビューランド越しに天橋立を見ることもできました。ビューランドよりも標高が高いので、少し遠くはなりますが景観は良好でした。しかしビューランドに降りることは憚られたので、引き返して須津峠へ下山しました。

須津峠は深い切通になっていますが、その斜面に大きな木が生えているのは長い歴史を示しているということでしょう。東の西宮津公園の方へ降りましたが(この峠道は近畿自然歩道です)、途中は荒れた竹林で抜けるのに苦労しました。さらには道が川と化している場所もありました。降りてきた地点は宮津トンネルの出口ですが、ここから歩道橋で北側の山裾に渡るとロードパークと呼ばれているらしい竹林の中の遊歩道があります。工事現場の足組のような道ですが、それよりも周囲の竹林の荒れ様は見ものでした、それを抜けると展望台があるのですが、木が茂っていて見渡せません。しかも道路に降りるには鉄道を横切る必要があり、踏切を探して西宮津大橋をくぐって南に歩く必要がありました。とにかく、あとは海岸沿いを歩いて天橋立に戻りました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「宮津」です。

2017年10月9日月曜日

山崎の生谷から長水山

長水山は何度も登っています。今回のコースはいわばフルコースです。登り口は山崎町生谷です。地形図にはクリーンセンターの裏から登る破線道があり、付近の登山地図にも描かれていますが、何の標識もなく見つけにくいので、谷奥の溜池(法師ヶ谷池、新池)まで行って、堤防の脇から登り始めました。「夢を育む森」だそうです。この道は生谷霊園(官弦寺墓地を昭和61年に移設)へ上がる道ですが、登山道の標識があります。少し左右から木の枝が出ている程度で歩き易く、登っていくと、まず展望台そして東屋があります。東屋には「やまさき町並み鳥瞰図」がありますが、残念ながら木が伸びすぎてどちらからも山崎町はほとんど見えません。しかし少し登ると岩場の展望台があって、揖保川沿いに南の方角が望めます。下三津四等三角点(223.98m)もあります。ここを過ぎると尾根歩きですが、三津への道標はあるものの道はほぼ消えています。木の階段が作られているのですが、正直なところ歩幅が制限される階段は苦手です。尾根の東側には荷造り用のビニール紐が張られており、松茸山のようです。「入山禁止」で「罰金10万円」だそうです。途中の道標で長水山への距離が∞になっていたのには笑えました。

あまり起伏のない尾根ですが、最後は急登となります。ここには階段があるので木に掴まらずに登れました。西に林道で迂回して登っても良いと思うのですが。山頂には五十渡四等三角点(412.47m)があります。周囲は静かな植林です。ここからは長水山まで一本の尾根歩きです。階段が多いのには辟易しました。生谷の案内板には「木の階段3250段」とありましたが、なくても登れるところにまで作られている感じがします。途中に東屋があって望遠鏡が設置されていますが、見えるのは木だけです。この登山道は手入れがされていない印象があります。2kmほどの尾根歩きですが、さすがに整備された道なので、登り始めてから2時間弱で長水山山頂に着きました。長水城本丸跡があり、この付近の山城には珍しく石垣がかなり残っています。山頂には信徳寺というお寺がありますが、車が登れない山頂によく作ったと関心します。本丸跡から南に行った所は城跡の平地で、山崎一帯が見渡せます。写真は揖保川沿いです。蔦沢2三等三角点(584.16m)はお寺の裏側にあります。

下山は山頂近くで分岐する宇野からの登山道を降りました。かなり荒れており、斜面が崩れて道が埋まっている所もあって、道を見失いそうになりました。途中に「危険 この先道ほそい」という平成26年度の卒業生(伊水小学校の?)の作った板が落ちており、これを過ぎると少し道が広くなり、木の階段もありますが、それでもガレ石で埋まっている所がたくさんあります。さらに下っていくと、草の間を抜けるのは良いとしても、谷に入ると土石流で木の階段が完全に流されて石で埋まっている場所もあって、登山道とは言い難いと思います。案内板ではこのコースは家族向きなのですが、かなり疲れる道でした。最後には平成28年に完成した巨大な堰堤がありました。堰堤があればその下は安全なのでその上はどうなっても良いというのでしょうか?途中の「是ヨリ○○丁」の標石の字も読めなくなりつつあります。宇野に降り立って、県道429で出発点に戻りました。

このルートは10年ほど前に逆向きに歩いたことがあります。その時は宇野からの登山道は階段の整備された良い道でした。全体に放置されて朽ちつつある登山道という感じがしました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆ 下山以外は★ゼロです
地形図は「山崎」です。

2017年10月7日土曜日

大屋町の加保坂峠から大杉三角点

地形図を見ると、養父市大屋町の加保坂峠から西側は、比較的平坦な地形をしています。特に何もありそうもないのですが、のんびり森を歩くつもりで、どんな所か見に行ってきました。

加保から加保坂峠まで登る途中にはヒスイの原石が露出している所があります。ちょっと見学してから、峠のミズバショウ公園に車をとめました。この季節には公園は閉まっています。公園の金網の北側を金網沿いに登りました。最初は草が邪魔ですが、金網から離れて登るようになると低くアシビが生えている森になります。草が茂っている所は避けて登って、金属プレートの加保坂峠四等三角点(644.84m)に着きました。周囲はちょっと伐採してあります。

ここから西に尾根を歩きましたが、起伏が少ないのでいささか迷いました。植林が歩きやすいのですが、間伐していない細い木ばかりでした。自然林もありますが、地上のアシビが気になります。日当たりが悪いせいかあまり背は高くないのですが、歩くには邪魔です。しばらく登ると南側に林道の終点がありました。地形図でも南の林道から道が登ってきている付近です。次の広い720m+ピーク付近は小さく割れた岩が多く、氷河期に山頂の岩が割れた跡でしょうか?ピークから南西に降りると、鞍部では南に向かって水が流れていました。その先には大屋中瀬線一六鉄塔がありました。こんな山のてっぺんにある割には小ぶり鉄塔なので拍子抜けしました。1回線しかないので、北の中瀬の発電所の電気を山を越して南の加保の変電所に送るだけの送電線のようです。鉄塔の西側の植林は藪化しているので、南側の植林を巻いて742mピークに登りました。ここもアシビの生えた植林です。この西の鞍部は北側に湿地があり、そこから水が南に流れていました。平らな山頂ですので湿地があるのは分かりますが、植林を免れたのは喜ばしいことです。ここにはミズバショウは生えていないのでしょうか?そこまでの水はなさそうです。ここからは緩い登りですが、いきなり林道が横切っていました。先程の林道の続きでしょうか。面白い模様の入った岩の多い斜面を登ると平坦な自然林となりますが、アシビが邪魔です。山頂の平坦地はアシビや背の高い草が茂っていて抜けられないので南を巻いて進んで、大杉三等三角点(794.27m)を見つけました。アシビに半分覆われています(写真)。

三角点の西は下り気味ですが、途中でまた湿地を見つけました。この付近は痩せた木の植林ですが、林道がありました。付近を間伐したのか、あちこちにぬかるんだ林道があります。おかげで方向が分からなくなり、720mピークを目指していたのに逆に東を向いて750m+の細尾根を歩いていました。逆方向なのに気づかないで東に歩くと、また湿地がありました。さっきの湿地の下にあたります。ここで間違いに気付いたのですが、わざわざ泥だらけの林道に戻る気もしなかったので、ここから尾根を降りました。ここも間伐されていない植林ですが、歩き易く、問題なく南の林道に降りられました。北の林道(相地轟線)は舗装されておりGoogle Street Viewで見られますが、こちらは未舗装でところどころ水が流れて川になっています。南の林道の名前はこの付近では天谷線で、東に行くと加保坂線です。法面はコンクリートで補強されている場所も多いようでした。林道の起点は、南北の林道が西側で一緒になる所にあるようです。また、大屋町筏から峠を越えて轟に至る道は、相地轟線と合流する地点から筏側は通行止めになっていました。

一般的な意味での登山でもハイキングでもありませんが、森林浴は楽しめました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「関宮」です。

2017年9月30日土曜日

養父市八鹿町の大徳山

養父市のホームページを見ていたら、大徳山に関する記述がありました([1])。山頂には寺院があったとか、蔵王権現の石像とか、面白そうなので登ってみました。登り口は左近山にあるというので、左近山に行きました。

地形図では左近山(山ではなくて集落です)から山に向かって破線道がありますが、航空写真で見るとここには巨大な堰堤がありますし、地形図にはない道もあります。そこでとりあえず住宅の間を登っていきました。延命堂まで登り、その前の細い道を真っ直ぐ上に登っていくと、林道のような道に出ました。どこから来ているのか分からないのですが、目の前に両開きの害獣避けの扉があったので、そこから山に入りました。すぐにお稲荷さんがあり、その先には動物捕獲用の檻があって、角の生えた鹿が中で暴れていました。誰かがすぐに処理してくれることを祈りつつさらに登ると、植林に入りました。ここからは植林を標高差350mほど真っ直ぐに登りました。地形図でわかるように、急斜面と少し平坦な場所が交互にあります。急斜面は場所を選ばないと四足でないと登れない所もありました。1時間近く辛抱強く登ると藪になり、地形図にある林道に出ました。ここから更に山頂の尾根まで真っ直ぐに登りましたが、ここはかなりの藪でした。

山頂の尾根に出ると、反射板がありました。「国有財産 大徳山反射板」と書いてあり、近畿地方建設局が建てたものです。八鹿町中心部方面が見えます(写真)。ここから山頂までは平坦ですが、藪っぽく、中央には古い金網もあって、あまり軽快とは言えません。山頂には広谷二等三角点(555.74m)といくつかの登頂パネルがありますが、地面に置くタイプのパネルが珍しいと思いました。落ち葉で埋まっていないのは、ときどき誰かが来て掘り起こすからでしょう。山頂からは南に尾根を降りました。時折東側に展望がありますが、広い展望はありません。地形図どうりこの尾根はわりと平坦ですが、幅が狭いので大きな建物があったとは思えません。真面目に探したわけではありませんが、歩いている限りでは人工物と思われるものは見つかりませんでした。標高が下がると徐々に藪が増えてきます。途中の標高470m付近で、大きな穴がいくつかある不思議な地形に出会いました。その下では地面に塩ビの管が埋まっており、どこかに共同アンテナがあったのかも知れません。じっさい標高200m付近まで降りると、共同アンテナの残骸が二箇所にありました。この付近からは東に尾根を降りて、北近畿豊岡自動車道の八鹿トンネルの東側に降りました。ここは登り始める前に様子を見て降りやすそうだった場所でしたが、予想どうりでした。

大徳山についてはWikipediaにも記述があります。登山道はいくつかあるようです。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「八鹿」です。

2017年9月28日木曜日

四斗谷から登る篠山市のとんがり山(妙見山)

この山には、2016/3/12に北側の黒石川沿いから登りました。しかし、南側の今田町四斗谷から登ると楽だとの情報を見たので([1])、南から登ってみることにしました。登り口は四斗谷の妙見宮です。ます古いお堂があり、その奥には新しいお堂がありますが、その先も道は続いています。途中に南無妙法蓮華経と掘られた石碑が3つあり、一つは慶應三年のもののようです。さらに登っていくと、妙見宮跡がありました。石垣がありますが、建物はありません。

妙見宮跡の裏にさらに尾根を登る小道があり、これはNHKの共同アンテナへの道です。共同アンテナは標高530m+のピークにありました。この先もマーキングがあり、岩の多い急坂を登って、とんがり山山頂にでました。以前とは違う「とんがり山 標高620m」と書かれた板と、壊れて中には何もない木の祠がありました。この日は霧が多く風が強く、展望よりも霧が動いていく様子が印象的でした。山頂から急な岩場を北に降りて、次の590m+ピークから南西に尾根を歩きましたが、切り開きがあり、落ち葉を踏んで歩ける尾根でした。さらに尾根先まで歩いて、標高500mを切る付近で西に降りましたが、この付近からやや藪っぽくなり、方向を間違えそうになりました。いったん450m+のピークに登って降りた鞍部は県道292号線が越すべき地点で、両側に道があったかも知れません。ここからやや厳しい登りになり、550m+ピークに出ました。ここは2016/1/23に来ています。前回同様に南東に歩いて、570mピークに頑張って登り、西寺山に着きました。宇土奥三等三角点(645.92m)があります。

下山は尾根を東に歩き、尾根を探して北に降りました。途中までは歩き易いのですが、徐々に急勾配となり木に掴まり枝をのけて降りていくと、谷に出ました。節理がはっきりした大岩があり、厚さ数cmに割れて剥がれ落ちた石が積もっていました。谷を降りると高さ5mほどの滝がありました(写真)。この付近には人工の石積みもあります。しかし谷は歩けないので再び南側の斜面を歩き、再び谷に降りると堰堤がありました。これは航空写真にも写っていますが、太い鉄パイプを組み合わせて木材が流れ落ちてくるのを防ぐものです。不思議なことに、ここでは水が流れていません。この下流では谷の北側に道があり、それを下ると墓地の脇に出てきました。

下りは少し急ぎすぎたと思います。もう少し東寄りの尾根を降りたほうが安全だったでしょう。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「谷川」です。

2017年9月23日土曜日

和田山の和田山三角点

和田山の室尾山に登った時に、南に見えていたのがこの山です。名前を調べたのですが、分かりません。しかしGoogle Mapで見ると、山頂は「和田山 景勝地」となっていたので、良い眺めを期待して行ってみました。

登り口は人気の少ない北側にしました。和田山町久田和の覚性寺へと歩くと、墓地に入る付近に害獣避けの扉があり、それを抜けると右手の尾根に作業道がありました。これを登ると切り開かれた斜面に出るので、そのまま南に登ると、梅谷支線五七鉄塔がありました。付近は藪で、南側から回り込んで鉄塔に下に出ました。この先はちょっと藪を登ると覺性寺四等三角点(228.98m)が藪の中に隠れていました。この先は植林になり、やや藪っぽいとは言え歩き易くなりました。標高410m付近には平坦地がありますが、こんな場所に城跡はないでしょう。501mピークの手前には地籍図根三角点があります。この付近からはかなり平坦な尾根ですので歩き易く、北側斜面が植林になると良い感じの尾根歩きになりました。広い植林の平坦地で尾根を西に曲がり、高森三等三角点(499.86m)に着きました。標石は角が取れてボロボロです(写真)。ここがGoogle Mapの景勝地だと思われますが、木が茂って景色は見えません。枝の間からかろうじて南の方向が少し見えました。

山頂から西に尾根を歩きました。尾根の先は広くて迷いそうで、じっさい少し北に寄って地籍図根三角点を見つけましたが、正しくはボロボロのネットのあるもう少し南の尾根を降りる必要がありました。地形図どうりに未舗装の林道が尾根を横切っていました。ここから山頂へ登山道が整備されていてもよさそうなものですが、全く何の標識も見つけられませんでした。林道を横切ってさらに西に歩きましたが、この付近は松茸山なのか止山の札が立っていました。380m+のピークから先は特に立て札もなく、金属プレートの桑原四等三角点(418.96m)に着きました。これも周囲は伐採してありますが、藪に囲まれています。ここからは北に歩くと、岩の多い急斜面の先にNHKの通信塔があります。他にも読売テレビや関西電力の通信塔が乱立していますが、その割には未舗装道路しか上がってきていません。

通信塔群からは北に真っ直ぐ歩き易い尾根を降りました。先端には向山四等三角点(371.76m)がありましたが、低い松に囲まれていました。ここからは東側の急斜面を降りました。なるべく傾斜のゆるい場所を見つけて降りると、下に林道が見えたので一気にシダの茂った間伐材だらけの急斜面を降りました。林道はいったん南に大きく蛇行しますが、問題なく下山できました。

三角点を4つ巡れました。町から近い山なのに全く登山道が無いのには驚きました。決して歩きにくい山ではないので、地元の方も登られてはいかがでしょうか。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は[直見」「矢名瀬」です。

2017年9月3日日曜日

宍粟市千種町の大鳴山

先週(2017/08/27)に黒土の滝に寄った時に、南向きに川を渡って林道がありました。これで南の山に登ってみることにしました。地形図の破線道は南西の谷に向かっていますが、川のすぐ南側に別の林道があって、これが真っ直ぐ南に向かっているので、これを歩きました。木材の積み出しに使ったと思われる道で、雨が降ったら歩けないと思いますが、幸い道が乾いていたので靴も泥だらけにならずに歩けました。東の山に向かっていくつも分岐がありますが、真っ直ぐに谷を登りました。なるべく林道を使って登ることに決めていたのですが、一旦西側の尾根に移って、東に戻ってきた所で歩いていた林道は終わってしまいました。しかたなく作業道を見つけて急斜面の植林を登りました。間伐材は斜面に横に置かれて、転がり落ちないように止めてありますが、大雨が降ったら転がっていくことは間違いないでしょう。急斜面ですが、足元が安定しているのでわりと楽に登れました。標高差50mも登ると林道に出ました。この林道も東の山の方に行くので、また急斜面を登ると、標高差30mほどでまた林道に出会いました。これらは地形図どうりです。これも横切って登っていくと、標高670m+の広いピークに出ました。この付近の植林は素晴らしく、最高の森林浴を体験できました。地面に光があたらないので下草は生えていません。しかし山の上なので湿気が少なく、森林の美しさを満喫しました(写真)。ここから南に、なだらかな植林を登っていきました。急斜面になるとシダが増えて、周囲も自然林の藪になります。それを通り過ぎると、大鳴山三等三角点(742.88m)に出ました。周囲の数10本の木は伐採されており、明るい山頂でした。

大鳴山からは尾根沿いに南東に藪を降りて、次の720m+ピークの付近は植林で、道も良くなりました。気がつくとこの道は関電の巡視路で、一旦降りてから間伐材だらけの植林を通って、紅白の山崎智頭線三三鉄塔に着きました。植林の上に、遠くの山が見えます。ここからも巡視路で尾根を降りると、川に金属の橋が掛けてあって、林道に出ました。この南の山には、2011/04/03に南の志文川の方から来ています。このまま下山可能でしたが、ちょっと歩き足りないので向かいの舗装道路を登りました。「ちくさ100年希望の森」だそうです。すぐに山崎智頭線三二鉄塔(ミニじゃありません)に出たので、その東の地形図で650m+ピークが二つある山に登ってみました。ちょっと藪を抜けると、特に何もない雑木林の山頂に出ました。あとは適当に斜面を降りましたが、ちょっとかんな流しの跡かと思われる雰囲気でした。最後は金網があったので扉を探して抜けたのですが、扉の先の植林で鹿と出会ったので、何のための金網かわかりません。畑の裏に出てきて、道路に出て帰りましたが、林道で下山するほうが畑に出てこない分だけ楽でしょう。

この付近の山は、植林以外はシダ藪が多いようです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「千草」です。

2017年9月2日土曜日

和田山の室尾山

朝来市和田山町の室尾山は、西側のキャンプ場から登る情報がネットにありますが、東側から登った例は見つからないので、こっちから登ってみることにしました。登り口は和田山町野村の心諒尼公園です(Google Mapは字が間違っています)。江戸時代の尼さんを記念した公園で、説明書きを読むと興味深い話なのですが、その公園の上に神社があります。名前は分からなかったのですが、その裏に害獣避けの扉があり、ここから登ることにしました。公園(ゲートボール場)の先の道にも扉がありましたが、神社の裏はちょっと藪を抜けると植林の尾根になって、快適に登れました。快適すぎて、ヲク山四等三角点を見に行くのを忘れました。急登ですが473mピークまで登って一息つき、北にちょっと降りると鞍部には横切る作業道があるようでした。そのまま登り続け、主尾根に出ました。この山は下から見るとフラットトップに見えますが、実際歩いても平らでした。気持ち良い尾根を歩くと、あっというまに室尾山山頂に着いてしまいました。木が邪魔であまり展望がありません。岡田山三等三角点(629.50m)があります。(写真)

下山は西に植林を降りました。あまり道標はありませんが、迷うことはなく降りられて、途中に男山への分岐があったので寄ってみました。何もありませんが、秋は紅葉が綺麗かも知れません。さらに降りていくと、途中に鉄塔があったので寄ってみました。奥多々良木出石線六七鉄塔です。この後、道を見失いました。キャンプ場と法宝寺跡の分岐を法宝寺跡の方へ歩いて来たのですが、道はススキの茂った原っぱに出ます。ここには「室尾地区の文化財」という説明板があるのですが、周囲には何もありません。すぐ下に家があるのでススキをかき分けて行ってみると、「里山体験学習館」と書いてあります。周囲は草が生い茂っています。裏の谷の方に行ってみるとシダが茂った荒れた植林で歩けません。里山体験館からススキの中に道を見つけて降りると、室尾の方へ行くキャンプ場からの道へ出ますが、その手前に室尾城跡と法宝寺跡への道標がありました。まず室尾城跡に行ってみると、江戸から明治時代の墓石がありました。説明板があるのですが、台だけで説明がありません。道標から考えて、おそらくここが城跡だと思います。後で写真を見ると、この前にススキの原っぱで見た説明板は現在位置が室尾城跡になっており、本来はここにあるべきものでした。何が起きたのでしょうか?

この後の下山も混迷を極めました。室尾に降りると出発点に戻るのは大変なので岡田に出なければならないのですが、道が分かりません。関電の「火の用心」を頼りに地形図の道になるべく近く歩くと、東の山裾を廻り、石垣のある法宝寺跡に出てきました。「薬師堂跡」という杭が一本だけ立っていました。この先の下山も、真っ直ぐに尾根を南に降りるべきだったのを間違えて東の谷に降りてしまい、登り返す羽目になりました。やっと道を見つけても、谷に降りた所でまた間違えて登り返しました。谷に降りたら谷の向こう側の道で尾根を越さなければならないのです。尾根を越してからは暗い植林をジグザグに降りるのですが、その先で平らな所に出てくると道はまた分かりにくくなりました。やっと害獣避けの扉を探し出して外に出て、草の生えた道を歩くと八幡神社に出てきました。登山道として整備されたことはあるようなのですが、道標も壊れかかったり読めないものが多く、関電のプラ階段も含めて振り回された感じでした。

岡田からの登山道は、もう少し整備していただければと思います。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆ 下山が問題でした
地形図は「直見」「八鹿」です。

2017年8月29日火曜日

若杉峠から長義山

兵庫県、岡山県、鳥取県の県境の尾根であるちくさ高原北方のの尾根は、整備された登山道として知られています。普通に歩くのでは面白くないので、少し変わったルートで歩いてみました。

登り口は吉野川の上流で、大茅スキー場の北です。道路が吉野川の北側に渡った付近から登り始めました。最初の目標はすぐ北の鉄山なのですが、特に道はありません。最初は西にトラバースして尾根から登ろうと思っていたのですが、意外と登りやすい植林だったのでそのまま真っ直ぐに登りました。足元は良いのですが、中腹からは非常な急斜面で、木に掴まってなんとか登れるくらいでした。かんな流しで削って急斜面になったのかも知れません。そのうちに岩が増えてきて、大きな岩を巻いて登りましたが、両側とも急斜面です。大きな岩は1m以下の厚さの板状に割れており、面白い眺めです(写真)。そして最後は植林の斜面を登ると山頂でした。鉄山四等三角点(981.71m)があります。名前から察するにかんな流しが行われた山なのでしょう。

鉄山からは北に斜面を降りましたが、ここもかんな流しの跡なのか不思議な地形で、方向が分からなくなりました。最後に鞍部の深い溝を渡ると林道がありました。木原造林と書かれた古いバスが捨てられていましたが、今も伐採が行われているようです。登っていく方向にも林道が地形図よりも先まで続いており、とりあえずはこれを歩きました。1030mピークの手前の鞍部で尾根に乗ろうかとも考えたのですが、林道の行方も知りたかったので、1030mピークは林道で西側を巻きました。その次の鞍部では林道は西の方へ行くことが予想できたので、尾根に上がりました。おそらくこの林道は沖ノ山林道に繋がっているのだと思います。尾根歩きも快適ですが、海抜1100m付近からは笹が増えてきます。それでもしばらくは手でかき分ければ歩けますが、1140mピークまで来るとネマガリダケの藪となりました。この北は少し下りましたが、ここはかなりの藪で腕力が必要でした。鞍部に降りても藪ですが、東にネマガリダケをかき分けて進むと、谷に出ました。これは東から来る谷で、谷を渡って斜面を登りました。こちらも笹薮ですが、あまり強くありません。更に県境に近づくとネマガリダケの密度が増して来ますが、無理やり突破すると登山道に出ました。

ここからは岡山県と鳥取県の県境の尾根歩きです。中国自然歩道となっています。南側はネマガリダケ、北側は植林が多いようでした。少し歩くと若杉自然研究路が尾根に達してターンしている地点に出ました。吉野川上流には駐車場があって、そこを起点にして若杉峠からこの自然研究路付近は良く整備されています。平日でしたが、何組かの登山者と会いました。尾根の道にも木に説明書きの札がついていて、勉強になりました。展望台の東屋を過ぎるとお地蔵さんのある若杉峠に出ました。北は吉川、南は大茅へ道があります。

若杉峠からはさらに県境を南東に歩きました。こちらも道は整備されていますが、登山者はいません。除伐をしている人たちに会いました。鳥取県側は最近植林されたようです。若杉峠の南東にまずひとつ峠を越えている道があり、1134mピークの南にも鞍部があって、ここには吉野川から道が来ています。さらに鳥取県に延びており、「吉(川)山林道 起点」となっていました。

ここからも鳥取県と岡山県の県境を歩くと、兵庫県との3県の接する場所に出てきます。ここには「三国平登山口」と「千種川支流 天児屋川源流」の道標があります。ここから南の尾根歩きは天国で平で道は広く、特に東側のブナの多い自然林はきれいです。歩き易いとは言え、それなりに時間はかかって峰越峠に着きました。未舗装道路に降りますが、すぐに峠越えの舗装道路に出ます。これは大茅から来ている道で、2車線の立派なものです。ちょっと舗装道路を下って「長義山登山口」の道標からまた登り始めました。ここは「ライオンズの森(広葉樹林)」となっていますが、ススキの茂る伐採地で、道標がなければ足を踏み入れたくはありません。登山道もススキに覆われて分かりにくくなっていますが、なんとか踏み跡と倒れている道標を頼りに鞍部まで出ました。ここからは一気に登って、山頂に出ました。森上三等三角点(1105.39m)があります。宍粟50名山の杭が立っています。読み方は本当に「なぎさん」なんでしょうか?異論もあるようです。

長義山からはあまり手入れの良くない植林を抜けて、一旦鞍部まで降り、1036mピークをかすって尾根を歩きました。道標ではダルガ峰の方向です。その先は細尾根ですが、細尾根というより両側からかんな流しで削られて残った尾根を歩いているような感じでした。そして1081mピークに登りました。ここからは下山です。まずは北西の尾根を地形図の破線道どうりに降りました。高規格の林道に出て、少し東に歩いて、地形図の破線道を探しました。ちょうどその付近には林道脇に広い空き地があり、その先を降りました。この空き地は人工的なものでしたが、その下の地形も凸凹の多い人工的なもので、かんな流しの跡だと思われます。溝や広い道があるのですが、ちゃんとは繋がっていません。破線道をなるべく辿って谷に降りたのですが、谷にも道があるわけではなく、支尾根をそのまま降りるのが正解でした。この破線道で降りたのは、地形図上は破線道が川を横切っているので橋があることを期待したのですが、橋はありません。やや水量が多いため飛び越えるのは難しく、結局裸足になって渡りました。ちょっと登ると道路で、出発点まではすぐでした。

全部で5時間以上かかる、私としてはかなり長いコースでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「西河内」です。

2017年8月27日日曜日

千草の上谷山

千種の上谷山は、地形図に名前が書いてあるので、なんとなく馴染みがありますが、あまり高くもないので特に登る理由もない山です。しかし、山頂に陸軍施設の跡があることを知って、登ってみることにしました。

登り口は国道429号線に千種町千草の案内マップのある場所で、行者像を見て曲がって畑の中を登っていきます。途中で道がススキだらけでよく分からなくなったのですが、携帯のアンテナの上の方に出てくれば正解です。ここまでの間に、植松山、笛石山、後山、日名倉山などの山々を雄姿を望むことができます。しかし、下がっている板に谷への道には鍵を掛けてあると書いてあって、ちょっと焦りました。しかしとりあえず行ってみると、害獣避けの扉は4箇所を針金で留めてあって、「下の方をしっかり止めて下さい」と書いてありますが、通れました。このような金網の扉の場合、山に入った後には、金網の間から手を突っ込んで反対側で針金を縛らねばなりません。手は通るのですが、下の方は更に細か金網になっているので楽ではありません。地元の方は山に入る時も出る時もこの扉を通るので、扉の外側でしっかり針金をを縛ればよいのですが、山の反対側に降りる人たちは少し苦労を強いられます。大した問題ではありませんが。

この先は暗い倒木の多い植林で、シダも多いので歩き辛い場所です。「千草部落特別貸付地」という木の杭の所を真っ直ぐに歩いて谷を極めようとしたのですが、がれ石が多くて結局右手の尾根に曲がることにしました。倒木とシダが嫌いなら最初から尾根に上がるほうが正解です。尾根はきれいな植林でしたが、その下は段々になっており、昔は耕地だったと思われます。全体に不自然な地形で、ここもかんな流しの跡かも知れません。植林を登ると徐々に平らになってきますが、倒木の多い雑木林で、平らだからといって楽々歩けるわけではありません。倒木を跨いで北に歩くと、山頂に出ました。登りはじめて約1時間でした。上谷三等三角点(617.80m)と、コンクリートの建物の土台があります(写真)。周囲にはコンクリートのブロックと大きな自然石が転がっており、どんな建物だったのか想像できません。

下山は特に道があるわけではありませんが、とにかく平らな場所を南に歩きました。南端から下を見ると倒木の多い斜面の下がススキの原っぱとなっており、ここはやめにして東に曲がりました。こちら側も倒木の多い急斜面ですが、木や倒木で体を支えつつ降りられました。この付近もかんな流しの跡かも知れません。降りると舗装された林道があります。舗装道路を南に歩き、三差路では舗装された東向きに曲がって、南に歩きました。舗装道路はさらに東に曲がりますが、ここは地形図の破線道で南に歩きました。この破線道はススキに覆い隠された踏み跡で、見落としがちです。小さな尾根の先を回っているのですが、地形図からは分かりませんが、南側は谷です。崩落しかかった場所もありますが、ぐるっと尾根先を回ると林道になりました。そのまま林道で南に降りました。

県道154号線に出て、途中で黒土の滝を見ました。近くまで寄れるので、水量が多いと迫力があります。県道の少し西側に車寄せがあり、そこに黒瀧大神の赤い鳥居があって、古い道が滝へ降りていま。こちらは「キケン]と書いてあるので見に行くと、川を渡る丸木橋が腐っていました。水量が少なければ川を渡ればよいのですが、岩が滑りやすいのでやっぱり避けたほうがよいでしょう。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「千草」です。

2017年8月23日水曜日

宍粟市波賀の不動口三角点と野尻三角点

宍粟市波賀町原には有名な原不動滝がありますが、この南の山を登ってみました。出発点は引原川沿いの、国道29号線が川の西側を走っている場所です。この南には西向きに谷があるのですが、29号線からは木が邪魔でよく見えません。しかし、ここには谷に入る林道があります。林道で谷の奥へ行くのではなく、すぐに作業道を見つけて北側の植林の斜面を登り始めました。この斜面はシダが茂った急斜面で、伐採木が転がっているために非常に歩きづらくなっています。しかたなく少し北側に斜面を横切ると、木が増えて少しシダが減りました。ここも急斜面ですが、頑張って登ると尾根に上がれました。

尾根には踏み跡があるので、急勾配ですがとりあえず歩くのには不都合はなく、登り続けました。ただ、ヤマビルに血を吸われました。少しシダが増えてきたと思ったら林道に出ました。この支尾根を横切っていますが、南から作られてきて、北に向かってまだ工事中でした。削ったばかりの法面は登りようがないので、少し北に行って林道が途切れている所から急斜面を登りました。ここもシダと倒木の急斜面ですが、頑張って登ると天国のような植林となりました。勾配も徐々に楽になってきました。共同アンテナの残骸があって、不動口四等三角点(736.10m)がありました。周囲はアセビの藪です。この先は最初の急斜面を思うと天国のようです。次の767mピークまでの間にはアンテナが撤去された跡と、数本が林立する共同アンテナ(パラボラアンテナを含む)がありました。767mピークの先は少し登って標高800m付近からは広い尾根で、木の間隔が広く開放感に溢れています。気分良くゆったり登って行きますが、最後は急登して藪の903mピークに出ました。ここからは南に歩きましたが、988mピークまで藪の細尾根が続きました。

988mピークからは東の尾根に降りなければならないのですが、尾根上からは見渡すことができません。GPSを頼りに東に降りましたが、尾根の側面は非常に急峻で、木に掴まらないと降りられません。必然的に藪を選んで降りることになりました。なんとか木を渡り歩いて尾根に達しても、この尾根が酷い藪でした。細い尾根なのですが時々尾根上に大きな岩があります。巻道らしきものがあるのですが、急斜面を横切るので滑りそうでした。岩があるので上に立てば展望がありますが、もう一度歩きたい尾根ではありません。それでも標高870m付近には宍粟市の地籍図根三角点がありました。その付近からは徐々に楽になり、そのうちに極楽の植林になりました。こちらの尾根も広々していて開放感があります。ただし野尻三等三角点(754.00m)はアセビの茂る岩場にありました。このあと、共同アンテナを過ぎて、徐々に藪っぽくなってきたので下山を考えていると、北側下方に林道が見えました。尾根からはかなり遠かったのですが、標高差100m程をシダの生えた植林を降りました。しかし林道の上に出ても、林道の法面はしっかり作られており、降りようがありません。少し西に歩いて、法面の高さが少し減った付近で思い切って法面を滑り降りました。この法面は垂直に近いのですが、草が生えています。運良く途中に石などがなかったので、草の上を滑って林道に降りられました。しかし、途中に岩が隠れていたりしたら怪我すること間違いありません。しっかり作られた林道ほど厄介なものはありません。

この林道は「森林管理道 前地・カンカケ線」だそうです。斉木の前地から大甲山の周囲をぐるっと廻って、おそらく今降りてきた尾根も尾根先で廻って、登る途中で出会った林道へ繋がり、完成すれば八丈川沿いの原不動滝の方に達するものと思われます。ただし林道は谷の奥へも向かっているので、この先どうなるのか、よく分かりません。ここからは林道で谷を下りましたが、途中の林道名は「ウツノミ線」でした。

標高差650mのコースなので、暑さもあって疲れました。山の上では涼しい風も吹きますが、藪の急斜面では長袖と軍手は必須なので、体力を消耗します。もっと涼しい季節に歩くべきでしょう。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「音水湖」です。

2017年8月20日日曜日

波賀町の流田三角点

播磨は古来より鉄の産地で、江戸時代中期以降はかんな(鉄穴)流しという方法で砂鉄を採取したことで知られています。この方法は山の斜面の土を削って水とともに流して重さの違いで土と砂鉄を分けるのだそうで、行われた後には削られた山と泥の堆積地が残ります。その典型的な地形として知られるのが、波賀町上野付近の齋木、皆木、飯見付近です。この付近は何度か歩いて不思議な地形を見てきましたが、今回は斉木川南側の山でかんな流しの跡を見ようと思いました。

歩き始めたのは波賀町流田付近で、斉木川を渡る橋が掛かっています。橋を南に渡ると案内マップがありますが、川の南側については深山と蔦沢越しの深山登山口が書いてあります。とりあえずはこの付近から山に入ることにしました。道を少し南に歩いて、墓所の脇から山に上ると、金網がありました。金網の向こう側は明らかにかんな流しの跡ですが、入り口がありません。金網に沿ってずっと東に歩くと、「入口出口]と書かれた扉がありました。この扉は壊れて鍵がかからないので、開かないようにトタン板で抑えてあります。ちょっと苦労して板を動かし、扉に隙間を作って山林に入りました。この付近は典型的なかんな流しの跡で、広い谷の間に筋状または孤立した小山が残っています。地面は土石流の跡に枝打ちした枝が落ちている程度で歩きやすいのですが、場所によってはシダが茂っています。なるべくシダを避けて登っていきました。主に削り残した場所の上を歩きましたが、なぜその場所が残されのか、今となっては理由は分かりません。「鉄穴残丘(かんなざんきゅう)」というほどのものではなく、大きな岩でも埋まっているのかも知れません。かんな流しには水流が必要ですが、この付近には水はまったくなく、近くの川まで土を運ぶしかなかっただろうと思います。

なだらかな斜面を470m地点付近まで登りましたが、この付近もかんな流しの跡です。その後もかんな流しの跡を見ながら登り続けると、標高600mを過ぎて東側が伐採地となります。この付近まではかんな流し形跡があります。この伐採地は下からもよく見えます、ということは長めは抜群で、東山、一山、阿舎利山と並ぶ山々、上野の町と城跡、それにかんな流しでできた、なだらかな斜面の上に急な山がそびえる地形がよくわかります(写真)。伐採地の脇の植林を登り、アシビが茂る藪を通って登っていくと、流田四等三角点(731.06m)に出ました。周囲はシダ藪です。ここからはシダ藪をかき分けて歩いて西の尾根に進み、南に尾根をアップダウンし、728m鞍部に降りると、西側は林道がUターンしていました。東側は伐採地です。ここから840m+ピークまではシダの中を登りました。植林で日差しはないのですが、足元が見えず間伐材もあるので疲れました。

840m+ピークには何もありませんが一休みして、下山を考えました。東側は伐採地で伐採に使った道があるのですが、草が茂っている上に木がないので日差しが強くて歩く気にはなりません。結局尾根を東に歩いて地形図の破線道を辿ろうとしました。しかし尾根に道はなく、しかもシダの密度がどんどん上がっていきます。尾根先から南東に降りる所は倒木を覆い隠すようにシダが茂っており、楽な方向に歩いて行くと、北東の植林に向かうことになりました。ひどく急勾配でもないのでこちらで下山することにしましたが、木に掴まらなくても降りられる程度の勾配とは言え、倒木をシダが覆い隠している状況は変わらず、何回か足を滑らせながら植林の中を下山しました。降り立った谷も荒れていましたが、問題なく林道に出ることができました。林道を歩いて、出発点まで戻りましたが、この道には電柱があり、「御空」「ゴソロ」と書いた札が貼ってあります。ゴソロ山というのはこの東にある通信塔のある山で、2011/08/20に登りましたが、この漢字名は意外でした。そのゴソロ山への分岐点には、石の道標があります。字はほとんど読めませんが、「右」が左側に書いてあるようなのが不思議ですが、「左つた」と読めそうなので、「左]が実は「右」で「右つたさわ」かも知れません。蔦沢というのは山崎町の伊沢川沿いの地名で、今でも山崎蔦沢郵便局があります。

かんな流しの跡を見ながら森林浴を楽しめました。この付近では陽の当たらない植林にもシダが茂っているのが特徴的です。840m+ピークから蔦沢越しへは、2010/09/04に歩いていますが、やはりシダ藪だったようです。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「安積」です。

2017年8月19日土曜日

美作の袴ヶ仙

無料の鳥取自動車道のおかげで姫路から岡山県北部・鳥取県にかけての山に行きやすくなりました。この袴ヶ仙もそのひとつです。鳥取自動車道の大原で降りて、北に走り筏津から知社へ入ると大規模林道粟倉木屋原線となります。快適な道で木地山峠を越えて、宮ノ上に入りました。この林道がないと、南から大回りしなければならないので、林道さまさまです。宮ノ上の入り口に案内板があり、集落の中を通って来て北に向かうと登山口があります。そこから西は林道なのですが、水流で削られたと思われる溝があり、小石も多くて運転が困難なので、植林に入ってすぐに車を停めて歩きはじめました。

最近整備されたと思われる赤い矢印があって、それに従うと林道を歩いて西の谷に入っていきます。谷の奥まで来ると「駐車場」という杭がありますが、マウンテンバイクの駐車場と思ったほうがよいでしょう。ここからはさらに谷を遡る細い道を歩きますが、途中でアシビがせり出してきて道が見えにくい以外はまったく問題なく、谷の奥で「ちょっとひとやすみ」と書いてある板まで来ると、植林の斜面をジグザグに登るようになります。炭焼き窯の残骸を過ぎると「オオカミ岩」という矢印がありますが、どの岩がオオカミ岩なのか分からず通り過ぎました。たしかに大きな岩が数個あります。そして尾根に出ると周囲は植林で良い感じです。袴ヶ仙へ向かって歩きますが、上に大きな岩の塊が見えてきた付近で矢印は斜面を西に横切るように指示してあります。それに従って西へ歩くと、斜面の道が流されていて所々怪しいのですが、とにかく南から来る尾根に上がれました。案内図によると迂回した岩が「小深山 岩カイ流」だったのかも知れないのですが、よく分かりません。登山ルートがなければまっすぐ登ったのにと思ったのですが、南からの尾根は勾配が少なく登りやすいのは確かです。しかも巨岩があって「塩した神社」という小さな祠があります。三角形の巨岩がありますが、濃い茶色をした不思議な石です。そして急斜面を登ると平坦地ですが、ここは山頂ではなく、さらに北にシダを抜けて歩いた先が池ノ尻三等三角点(930.41m)のある山頂です(写真)。木に隠れながらですが西、北、東に展望があります。西には那岐山が正面ですし、東は日名倉山が目立ちます。写真の背景は後山でしょうか。

下山は山頂から北に降りて東に尾根を下りました。まず山頂近くで急斜面を降りる必要がありますが、ここはシダが茂っており足元が見えません。倒木も隠れているので慎重に降りましたが、できれば避けたい場所でした。ここを過ぎるとあとは植林なので全く問題なく下山できました。谷にも道が見えますが、無理して谷に降りる必要はありません。640m地点付近は自然林ですが、その下は植林で、間伐が行われたようで広々としています。間伐の際の作業道を降りていくと、最初の林道に出ました。

登りは80分、下りは40分という短時間の登山でした。それでも900m超に登れるのですから、お得な登山コースでしょう。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「古町」です。

2017年8月17日木曜日

南丹市八木の八木城と鉱山跡

厳密に言えば亀山市との境にありますが、八木の側から登ったので八木の八木城としておきます。地形図では単に城山と書かれています。戦国時代に内藤如安というキリシタン大名がいたことで有名な山城です。登山道は東の八木町八木の春日神社からが近そうですが、地形図には北の八木町柴山からの道が描いてあるのでこれを登ってみました。

車は柴山の支援学校の少し北の集落近くに停めたのですが、ここから南に山沿いの道を歩くと、墓所がありました。数m四方の小さなものですが、この脇の斜面が盛り上がっており、そこに古墳の横穴と思われる口が空いていました。中を覗くと奥行きはあまりありませんが石室がありました。これは坊田古墳と呼ばれるものかも知れません。この日はこの後もたくさんの穴を覗くことになりました。

地形図では支援学校から谷の奥の神社まで実線道が延びています。しかし実際は自動車道路が終わった所から先は車が入れない登山道になります。この地点は南向きにも山道があり、これが後で訪れる峠へと繋がっています。登山道は荒れ気味で、登山靴が必要です。しかししっかりした道で、迷うことはありません。そして、左が八木城本丸跡、右が妙見宮という八木町の標識が立っています。

この妙見宮ですが、行ってみると非常に荒れています。本殿はかろうじて健在ですが、付近の建物は廃墟と化しています。いつ頃のものなのか分かりませんが、石碑に天保14年と掘られていて、古いことは確かです。妙見宮という名前は明治の神仏分離令で使えなくなった名前なので、江戸時代からの妙見信仰の対象なのでしょう。じっさい本殿の前には石鳥居が立っています。再興30年記念の記念碑が昭和11年に建てられており、昭和30年のお墓もあります。また、半壊した建物の寄付者名簿の最高額は3万円なので、そんなに昔のこととも思えません。ぜひもう一度再興して頂きたいと思います。現状は廃墟マニアに絶好のスポットでしょう。妙見宮の背後は崖で滝もありますが、ここに小さな祠があり、その奥は岩にあいた穴となっていました。中には特に何もありません。

ここからは本格的登山となり、まず植林の中を登ります。そして登山道を登って、トラロープの張ってある壊れかけた階段を登ると主尾根に出ました。ここからは稜線に沿って東に歩くと、平坦地がたくさんあります。はっきりと段差のついた平坦地があって、これが500年近く前のものかと驚きました。広い城跡に感動しつつぐるっと尾根を廻ると、城山頂上(330m)に出ました。ここだけは展望があり、北から東、南と望めます。残念ながら八木の町は近すぎて木に隠れてしまいます。解説板があって江戸時代の地図に基づいた城跡図があり、城の作りがよく分かります。この山は尾根の十字路となっており、四方に城郭が延びています。「金の間」という天守閣(?)から「内藤土佐」と城跡図に書かれている方向にも行ってみましたが、急斜面にトラロープが張ってあり、先にも道があるようでした。尾根上を歩いている限りは石垣を目にすることはなかったのですが、斜面を調べれば残っているのかも知れません。

頂上で景色を楽しんだ後は、尾根を戻って南に歩きました。登って来た道は尾根を横切っていて、登って来た方向が「妙見道」、南に降りる方向は「神前峠」となっています。じっさいはこの地点が峠だと思いますが、ここから標識のない西に歩きました。道はしっかりしていて、城跡図に「烏獄 内藤法雲」と書かれていた付近に着きました。広い平坦な場所です。ここからさらに西に歩きましたが、342mピーク付近からは徐々に藪っぽくなりました。しかし赤や青のマーキングは続いており、それに従って290m+の鞍部に降りると、明治14年の境界石がありました。「東 八木村」「西 神前村」だそうです。南北ではなく東西というのが気になります。じっさい歩いている尾根は南丹市と亀岡市の市境ですが、南北の境です。

ここから西の尾根は道が広くなって快適に歩けました。少し行くと尾根の南側が凹んだ場所があり、凹み方が不自然で岩が露出していたのが気になりました。そしてその先の標高300mからの斜面の手前にも大きな窪みがあり、岩が露出していました。さらにその南側に降りてみると、高い岩の崖に挟まれた奥に穴があいていました。どう見ても鉱山の跡です。これまでに見た窪みも、今は埋まっていますが、奥に坑道があったのだろうと思います。尾根近くを削ったため、尾根は狭くなって危険で、ここには古いトラロープが張ってありました。340m+まで登ると「ここから八木町南地区区有山林です入山しないでください 八木町南地区財産管理委員会」という札がありました。とは言え尾根を歩いて帰りたいので、そのまま気持ち良く西に歩くと、413mピークの前にも同じ札がありました。ご丁寧にその先の道には荷造りテープが渡されています。ここはピークに行かずに北に尾根を曲がる必要があるので問題はありません。しかし曲がる先の尾根は見つけにくく、少し悩みました。

北に尾根を曲がって少し歩くと、また尾根が細くなっている場所がありました。回り込んで下を見ると、ここも坑道があります。この付近は坑道だらけで、試し掘りかも知れませんが、あちこちの崖の下が凹んでいました。そして尾根に戻って少し歩くと、西側に建物がありました。見るからに作業場という感じですが、降りてみると坑道が2つありました。また索道を使って鉱石を下ろすようになっていました(写真)。付近にはスラグのようなものはなく、ここでは掘るだけだったようです。というか、ここの設備は十分使用に耐えるもので、今でも掘っているのかも知れません。この谷を降りると東本梅町大内へ行きますが、坑道は尾根の両側にあり、どちら側のものなのか、確かに気になります。

城跡も予期しなかった鉱山跡も十分見たので、ここから下山しました。地形図には破線道が八木町柴山までまっすぐ降りて行っていますが、実際の破線道は斜面をジグザグに下っており、倒木やシダに邪魔されましたが、無事に下山できました。

ネットで調べると、この付近には神前鉱山というのがあったようです([1])。マンガン鉱山だそうですが、場所は今日見たのよりももう一つ東側の谷(境界石より東)の奥だそうで、別の鉱山かも知れません。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「亀岡」です。

2017年8月13日日曜日

丹波和田の岩尾城跡

丹波市山南町和田の岩尾城は戦国時代の山城として知られています。高い山ではありませんが、プチ登山のつもりで行ってみました。登り口は岩尾城からは東に離れた和田の外れで、「岩尾城跡縦走コース 和田下町登山口」と書かれた看板です。距離は2.1Kmとなっていますが、他の案内板を見ると2080mのようです。この登り口は稲荷神社への参道で、新しめの赤い鳥居が続き、小ぶりな神社があります。その先は四国八十八ヶ所巡りになります。あちこちにある、一山で八十八ヶ所を巡れるという便利なコースで、各寺の石仏が祀られていますが、コンクリートの覆いが崩れかけているものが多いのが気になりました。お参りをしながら登山道を登ると害獣避けの扉があり、この先にも石仏はありますが、本格的な登山となります。ここから岩尾城まで全体としては整備されたハイキングコースですが、シダが膝くらいまで茂っている場所がたくさんありました。それも日当たりの良い登り斜面に茂っていることが多く、意外とハードな登山でした。258mピークには共同アンテナがあります。ここを含めて、風通しが良く涼しくてほっとする場所がいくつもありましたし、展望もあちこちから東や南が望めます。石金山が正面です。道は分かりやすいのですが、登りになる地点で巻道らしい道と分岐していることがあり、いずれも登りが正解でしたが、シダが茂っているので分かりにくいかも知れません。逆方向に歩けば問題ないでしょう。

登山道は最後は牧山トンネルの方向から来る尾根に出て、そこから割掘りを通って少し平坦地を抜け、急斜面を登ると岩尾城跡です。山の名前は蛇山(358m)です。あまり大きな城ではありませんが、戦国時代の山城にしては石垣がかなり残っているのが驚きです(写真)。角のところなどあまり丁寧に積んでいるようには見えませんが、これでも400年以上も持ったというのは驚異的です。ここには以前も来ているので、今回特に見たかったのは実は西の尾根でした。城跡から北に平坦地に降りて西の尾根を下りました。踏み跡があります。少し降りると地形図に岩のマークが描いてありますが、ここは真砂土の急斜面です。今はないのですが、以前和田小学校の入り口に岩尾城の登山地図があって、城の北に人間地獄という場所が描いてありました。和田の人に聞くと蟻地獄の人間版とのことで、この蟻地獄のような半円形の真砂土の斜面は確かに人が足を滑らせると蟻地獄のように滑り落ちると思います。一番上には「危険」の札があったので、おそらくこれが人間地獄なのでしょう。子供の頃にはダンボール板で滑って遊んだと言っていましたが、どう考えても止まれないので危険すぎです。なお、北に展望があって篠ヶ峰などが見えます。

岩尾城跡に戻って、西の丸の方から下山しました。案内板の脇にも真南に降りる急勾配の小道がありますが、登山道は西の丸から降ります。登山道には案内板がありますが、ことごとく和田から登って来ることを前提に作られており、縦走して下山すると迷いそうになる所もあります。石垣は下の斜面にもあり、井戸や曲輪があります。途中に下山道があり、これが和田小学校へ降りる道だと思いますが、真っ直ぐに歩きました。最後は植林になり、害獣避けの扉を通って親縁寺に出ました。今回は通らなかったのですが、途中で達磨岩という、下から見上げると結界の張られているのが見える大きな岩を通るコースもあると思います。

暑い日だったので意外とハードなハイキングコースでした。岩尾城跡は、一見の価値があると思います。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「丹波和田」です。

2017年8月11日金曜日

智頭の穂見山

せっかくの山の日なので少し足を延ばしてと思って、鳥取県に一歩踏み入れて穂見山を登りました。この山は西側の穂見から登るのが定番のようですが、鳥取自動車道から智頭をまわって西側まで行くのは遠いので、東側からのルートを検討しました。すると智頭南インターの西側の尾根を登れば山頂までまっすぐ、ということが分かったので、このルートで登りました。登り口は鳥取自動車道の西側の保守道路です。この付近は以前は畑だったようで石積みも残っていますが、今はススキが茂っていました。少しススキの中を歩いた後で南側の植林の尾根へ行く作業道を見つけて、尾根に上がりました。素晴らしい植林で、気分良く歩けました。

もうちょっと登ると南から林道が来ていて、少し伐採されています。この付近は急斜面ですが、頑張って登るとまた楽な植林になりました。しかしさらにその先の標高650mの手前付近も急勾配で、ここでは登りきってから一休みしました。北側が植林、南は自然林という場所が多いようでした。この後は少し楽になりましたが、いずれにしても標高差600m以上を登るのですから、山の日にふさわしい登山です。890m地点も植林ですが、この後はずっと傾斜は緩やかになりました。この付近は所々に長いコンクリート製の杭が立っていますが、何も書かれていません。そして目の前に大きな藪と思ったら、そこが950m+ピークでした。ここから南西に延びる尾根は伐採されており、西から南に大きく展望が広がります。国道53号の土師方面が見えますし(写真)、ガスがかかっていましたが那岐山も見えます。ここから北に広い尾根を少し歩くと、穂見二等三角点(976.01m)のある山頂です。残念ながら木が伸びていて展望はほとんどありません。

下山はまず北に尾根を歩き、尾根先に林道のある尾根を降りることにしました。主尾根から曲がる所は広くて歩きやすく、その先も植林ですが、標高800m付近になると急斜面になりました。ここで広い尾根が二つに別れるのですが、間違えて東側の勾配の少し緩そうな斜面を降りてしまいました。途中で間違いに気がついたのですが、登り返すのはあまりに大変なので、間伐材だらけの谷をトラバースする羽目になりました。これには体力をだいぶ消費しました。やっとたどり着いて正しい尾根を下ると、地形図どうりに広くなだらかな植林となり、大きな池もありました。昨日の雨で水が多かったのでしょうが、これだけあれば夏のあいだ干上がることはないでしょう。蛙が飛び込む音が植林に響きました。

この先は植林をひたすら降りました。686m地点からはちょっと急ですが作業道があります。そのまま踏み跡を歩いて、地形図の林道に出ました。この林道はここで終わっておらず南東に延びていました。この林道沿いにはアンテナがたくさんあり、智頭方面を向いたNHKのパラボラや、智頭町大内中継局、それにドコモやKDDIの携帯アンテナ、中国電力と様々です。アンテナ群を通ると、林道の枝がたくさん作られており、間伐作業中とのことでした。軌道(モノレール・リフト)が設置されていて、物資を引き上げていました。ショートカットできる道もありそうでしたが、地形図どうりに舗装された林道を降りて、ピンク色に染まった恋山形駅を見物しました。できれば智頭急行で一駅乗れば楽に出発点に戻れたのですが、午後は2時間半ほど列車の空白時間帯があり、やむなく歩いて戻りました。

標高差の大きな登山なので、急斜面が続くのは避けられません。下山に使った尾根は、最初の250mほどを林道で登れるので、比較的楽なルートでしょう。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「坂根」です。

2017年8月9日水曜日

大名草の石風呂三角点

名前が良いので行ってみました。大名草の西側の山で、ここから朝来市との境界の山まで行くルートです。この山は国道429号線の北側ですが、国道に沿って青垣峠まで延びている川が石風呂川のようです。加古川の支流となります。最初は国道側から登ろうかと思ったのですが、大名草から見るとこの尾根の東端は最近伐採されてジグザグに道が見えます。南に国道側に廻った側も伐採されており、草が茂っています。そこでまず東端の伐採地の下に行くと、林道がありました。この道は北に尾根裾を廻っており、すこし行ったところになんとか登れそうな植林の斜面を見つけました。そこで、ここから登ることにしました。しかし少し登ると頭上に大きな岩が聳えていました。植林に囲まれて下からは見えないのですが、大きな岩です。幸いにも岩の右手に作業道の名残らしい踏み跡を見つけて、大岩の上に出ることができました。しかしこの上の植林も急斜面で、木に掴まり根に掴まりながら、なんとか登りました。地形図で見ても、とても登る気にならないくらい等高線が密集しています。ほぼ45度の斜面です。登り切ると、南斜面の伐採地の上に出ました。南から東を見渡せます。岩屋山の通信塔もちょっと見えました。石風呂四等三角点(374.68m)は、伐採地からちょっと東に林に入った所にありました。(写真)

この後は長い尾根登りです。標高差で400m以上を登らねばなりません。しかし距離が長いのでそれほど急斜面はありません。511mピークまで頑張って登ると、あとは楽になりました。周囲は植林で、岩も少し転がっています。その後628m地点の手前は尾根が繋がっていません。鞍部に降りるとヌタ場(というか水溜り)がありました。その後はたまにアシビの藪がありますが、簡単に抜けられます。そして最後の登りのあと、登り始めから2時間半近くかかって朝来市と丹波市の市境となる775mピークに出ました。ここへは2015/08/08に来ています。

市境は北に歩きました。大外奥四等三角点(817.71m)を通りました。植林は歩きやすいのですが、木がなくてシダが茂っていたり、アシビの藪もあり、それを抜けると紅白の大河内線五〇鉄塔があります。両側に少し展望があります。太陽光発電電源制御装置なるものがあるので、ソーラーパネルで発電して夜は点灯するのでしょう。植林を歩いて前回も来た870m+ピークに出ました。鉄塔への案内板(白地で字は読めない「火の用心」)が3方向にあります。ここからは下山で、尾根を東に降りました。しばらく降りると大河内線五一鉄塔があります。ここには関電の白地の「火の用心」が二つ上を向いているので、五二鉄塔へはいちど主尾根に戻ってから支尾根を降りるのでしょう。巡視員の方はご苦労さまです。ここは関電に従う必要はないので、そのまま尾根を降り続けました。多少傾斜の急な所もありますが、ほぼ植林なので飽きるだけで問題はありません。最後は植林の中のシダを抜けて、谷あいの舗装道路に出ました。この日は台風の後で谷川の水量は多く、道路にも水が流れ込んでいました。力強い清流を鑑賞しながら大名草に戻りました。一周5時間近くかかってしまいました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大名草」です。

2017年8月6日日曜日

多田から登る多可の天空

千ヶ峰を含む多可町と神河町の間の山並みは多可の天空と名付けられています。何度も両側から部分的に登っていますが、今回は多可町の加美区多田から登ってみました。荒田神社の北の多田から西の谷に向かう細い道を入りました。北側はソーラーパネルで埋められています。植林の入り口にはゲートがあり、開いていますが、ここに車を停めました。ゲートの脇にはタイヤを積んで着色した面白いオブジェがあります。ここから植林を歩いていくと、山小屋があってバーベキューができそうでした。ここが271m地点で、ここから北の谷に向かう舗装道路には「伐採作業中」の看板が立っています。今日の作戦は谷の東側の支尾根で登ることなので、ここから東に登っていく未舗装の林道に入りました。この林道は地形図にもありますが、ジャケツイバラがはびこっていて、あまり使われている感じはしません。地形図どうりにどんどん東に斜面を登っていき、さらに山の東側を登ります。このまま北に行くのかと心配になるとターンして、多田四等三角点(383.30m)まで来ました。ここへは西から別の林道が登ってきて、さらに西斜面を登る林道があります。三角点は林道を作った時に付近の土を掘り起こしたらしく、少し傾いていました。山側には「水源林造成事業四十周年記念 平成13年10月25日」の杭があり、東屋があって休めます。

ここからは支尾根を登りました。林道もほぼ並行して登って行きますが、尾根のほうが日陰で楽です。450m+で舗装林道が西側へ折り返していますが、ここからも尾根を登りました。たまに西側に伐採地があってネットで囲われていますが、中は大きな草が茂っています。苗は育っているのでしょうか?植林は風があって快適でした。少し岩もあります。568m地点は良い感じの植林でした。そして巨大な播磨中央線五四鉄塔に出ました。西に展望があります。そのまま植林を登っていくと、標高700m付近で目の前は植林の急斜面となりました。西側の斜面はあまりに急なので、東寄りのコースをとって東に延びた支尾根にあがり、そこから多可の天空に出ました。アセビの藪の中に、金属プレートの谷山四等三角点(833.58m)がありました。山名の書いてあるプレートはなかったのですが、谷山というピークなのでしょうか?

谷山三角点から多可の天空を南西に歩きました。急坂が多いのですが、周囲は植林で尾根を横切る風も心地よく、まさに極楽でした。夏の休日に誰もこの主要ルートを歩いていないのには驚きました。ちょっと北側に林道が見えました。そして793mピークに登りましたが、ピークはススキで覆われており、中央には関電の「火の用心」が立っています。ここから西の鉄塔に降りて行くようです。天空の道はそのまま南に降りて、播磨中央線五三鉄塔に出ました。さっきの鉄塔の次なので、電線は800mほど谷を渡っています。ここで林道が尾根を横切っていました。この付近の林道は地形図には全く描かれておらず、航空写真では木に隠れて切れ切れにしか分からないので、全体像が掴めません。この林道は尾根近くに尾根に沿って作られているので下山には使えそうもありません。そこで検討すると、地形図にはここから東の谷に降りる破線道が描かれています。そこで探してみると、急な斜面の下に「火の用心」が見えました。次の鉄塔は東の尾根の上ですから、この巡視路は谷に降りているはずなので、ここから下山を決めました。しかし最初はまさに土石流の跡を歩いている感じ、岩あり砂地ありで危険でした。それを抜けると道があるのですが、草で覆われています。そして道は植林に入って行くのでほっとしたのですが、この植林の谷は最近伐採が行われたらしく、枝で埋まっていました(写真)。枝の下はガレ岩が多いので、安心して歩けません。積もった枝を踏みながら歩き、なんとか林道に降り立ちました。少しぬかるんでいましたが、問題なく林道で谷を下山できました。この急斜面の破線道は、実は多田から大畑・生野に繋がる旧道だそうで、谷沿いの林道に説明書きがありました。しかし大変に荒れていますので、ここから登って峠を越えるのは難しいだろうと思います。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「生野」「丹波和田」です。