2018年2月18日日曜日

佐用の庄ノ上山

佐用の西の外れにある庄ノ上山は、地形図では知っていても、低山で登山ルートを決めかねていました。とりあえず杉坂峠から南に中国自然歩道があるので、これを使って行ってみました。まずは先日(2018/01/21)も行った杉坂峠の史跡に行きました。「杉坂聖蹟口」と石に彫られていますが、戦前は児島高徳に関連して聖蹟だったのでしょう。江戸時代の道がどこを通っていたのかを考えてみたのですが、深く切り通しが掘られた現在となっては、この遺跡に佐用側から登って来る道は想像できません。

史跡からは南に歩きましたが、自然歩道はあまりにも整備された道です。地形図では、杉坂峠の南東には東に折り返したような形に細い尾根が二本あるのですが、自然歩道は西側を通り過ぎるので、まずこの尾根を見に行きました。切り開きがあって、植林の尾根に上がれました。倒木が多く荒れ気味ですが、広びろした場所です。ぐるっと尾根を廻って自然歩道に戻りました。この先も、自然歩道はピークを巻き気味なので、尾根に上がって県境を歩きました。350m+の東西に長細いピークにも登って地形図どうりに平らで広いことを確認しました。ここへは東側から林道が登ってきており、草地になっています。この付近の植林はまだ若いのか、細い木が多いようです。自然歩道以外にも林道はたくさんあって、方向を間違え気味でした。

幅広いピークから南に降りると、地形図では建物がいくつか描いてありますが、いずれも廃墟です。ちゃんと残っているのは、いくつかの古い石碑と赤い消火ホースの箱だけでした。ここは道の交点になっています。ここから南の山に急斜面を登り、荒れた県境を歩きました。上月町の地籍図根三角点がありました。大回りして再び自然歩道に戻ると、土居方面への道は舗装されています。自然歩道は蓮花寺の方へ斜面を登って行きますが、目的の庄ノ上山には行きません。この付近はススキが繁っていますが、それをかき分けて尾根の東側に道を見つけて登りました。ススキだらけの道ですが無事に植林の尾根に上がれました。ここからは県境の荒れた尾根歩きですが、ところどころに土を盛った道がありました。300m+の鞍部に一度降りて登り返すと、北側に林道が来ていました。それには頼らず荒れた県境を登ると、斜面の木に杉坂峠への道標が掛かっており、ここが登山道だと知ってびっくりしました。確かに赤いマーキングがあります。この長い尾根も荒れ気味ですが、問題なく歩けますし、途中で南から道が上がってきて、庄ノ上山近くは道がありました。山頂には宇根二等三角点(379.74m)がありますが、山名の札などはありません。

山頂からは南に歩きました。この付近には珍しく大きな岩があり、その付近の380m+ピークで県境は東に折れ曲がりますが、ここには二体の小さな石仏(不動明王と役行者?)と宝暦4年(18世紀半ばです)の供養碑(?)(「奉供養大峯山上」と書いてある)がありました(写真)。峠とは呼べないような場所なので驚きました。ここから東に降りて(ここにも杉坂峠への道標)、地形図にある南北の破線道を探しましたが、北側は笹薮と植林で道はありません。それでも植林の中を北に降りて行くと、林道の終点に出ました。

ここからは林道で下山しましたが、地形図とは違っていて、西寄りに歩くと地形図で四角く閉じた破線道の南東隅に出て来ました。北へは舗装されていましたが、北から西へ電線が延びていたので西に何があるのか見に行きました。地形図ではこの付近にはいくつかの建物が描かれていますが、どれも荒れ果てた人家でした。中には潰れた家屋の隣にしっかりと鍵の掛かったイナバ物置があって、窓が封鎖されていることもあって、何なのか気になりました。一番大きな家はしっかりしており、鶏小屋もあってまだ住めそうな感じでした。都迦之大神と書かれた小さな祠もありました。地形図ではここから北に破線道があるのですが、見つけられずにしばらく尾根を降りました。その後で道を見つけましたが、途中で消えてしまい、最後は小川を渡って舗装道路に出ました。そのまま皆田まで下山できました。

3時間ほどの短コースでしたが、意外とバラエティがありました。自然歩道を歩けば楽でしょうが、発見は少ないでしょう。それにしても、あちこちから響く銃声には肝を冷やしました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「佐用」です。

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